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元気なうちにやりたかったことをやろう!そんな思いで2011年3月より8月までマラウイで薬剤師として派遣されるマラリエ生活を綴った日記です。
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2024/09/21 (Sat)
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2011/06/26 (Sun)
先週末、待望の難民キャンプへ行ってきた。
ドーワから車で10分くらいのところに難民キャンプがある。
昨年ある隊員がたまたまキャンプを訪れたとき、
ある人が日本語を教えてほしいといってきたのが始まりだそうだ。
彼らはどうやってかNHKの教材かラジオを手に入れて
すでに日本語を勉強していた。
彼らは1週間に一度集まって勉強をしていて、私たちは1ヶ月に1度訪問。
雰囲気を保たせるために人数を1回4人(2人はコーディネートしている)
にしていて順番に行っているそうだが短期の私は短期を理由に
今回優先的に行かせてもらった。
 
私にとって難民キャンプは国境沿いにあるテント生活の過酷な生活という
イメージだった。しかし全く違う。柵もないしそこはただのマラウイの村。
教室は1つの家で生徒は今回は5名。
今までに習っている日本語で挨拶をしたり、彼らが作ったミニ劇を見たり、
そして今回はひらがなを神経衰弱にして遊んだりした。
最後には書道をやって日本へのメッセージを書いてもらって終了。
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彼らはみんなコンゴ出身。彼らは私たちがいない間も自分たちで勉強をしていて
本当に頭がいい。彼らはコンゴの公用語のフランス語、コンゴ(?)語、
タンザニアで使うスワヒリ語、マラウイの公用語チェワ語、英語、そして日本語を
話す。なぜ日本に行くことはたぶんないのに学ぶのか聞くと「世界が広がるから」と。
グレイスという女の子はコンゴには帰りたくないという。それは危険だから。
現在彼女はカナダへの移住を希望している。国は選べるということだ。
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難民キャンプに無知な私は、そのあと先輩隊員と別れみほちゃんと
キャンプ内のチャイ(30KW)+ジンジャーマンダシ(20KW)を食べにいった。
ま~おいしいこと♪マンダシはマラウイでよくよく売っている揚げパンでモチモチ
している。が、何も混ぜていないのが一般的。ジンジャーマンダシは最高だった!
途中で買ったサモサ(10kw!!)もおいしかった~!みほちゃんが持っているのがサモサ。
緑のお皿にあるのがマンダシ。
そこで店の人たちとひたすら話す。2時間はいたかなぁ。
みんなコンゴ出身。ある人は10歳のときにコンゴを出た。その後タンザニアに12年。
そしてマラウイは6ヶ月だという。なぜタンザニアから移動してきたか聞くと
タンザニアのキャンプいっぱいになってここにキャンプがあると知ったからだそうだ。
彼に国に帰りたいか聞くと、帰りたいという。「コンゴは自分の国だから」と。
どんなに離れていても母国を想うのはなんとなくわかる気がする。
 
た~くさん話しているうちに彼から「なぜ日本は難民を受け入れないの?」と。
確かに難民を助けるNGOとかは聞いたことがあるけど難民キャンプはあるのか???
「もし日本が受け入れてないのだとしたら、アフリカに遠いから
すぐに帰れることを考えてそうしているのかも。ごめん、わからない。」と答えた。
すると「じゃ、なんでオーストラリアは受け入れているんだ?」と。
う~ん、わからない。わからない…。帰国したら調べてみよう。
でも、私はこの問いかけにとてもびっくりした。マラウイの人たちは
「国」の考えなどには触れてこない。本当に頭がいい。
どうやら店の人たちは、私たちを気に入ってくれてアドレス教えて~!
写真一緒にとろう!と。
彼らに「争いが終わって、あなたたちが母国に帰ったら必ずコンゴは発展すると
思う。あなたたちは本当に頭がいい。早く争いが終わるといいな。」と伝えた。
彼らとずっとコンタクトを取っていけたらと思う。
 
そうしてお店をあとにして、ヨリヨリが売っているというお店へ。
すると店主が「うちの子供たちと一緒に写真にうつってくれ!」と
デジカメを持ってくる。そうして彼のおうちに入ると妹さんがシマ作成中。
食べていきなよ、という誘いにシマ大好きみほちゃんが食いつく。
私は店主の撮影対象となり、なぜか店主のベットの上で「座ってくれ、
こっちを向いてくれ」などなどモデルとなる。
そうしていると周りの子供たちも集まり、私のデジカメで私を撮ろうとする。
マラウイの子供たちは自分を撮ってくれ!はあるけど自分が撮りたい!は
今までなかった。彼は色んな角度から私たちを撮影し、再生の仕方もすぐに
覚えて本当に頭がいい。
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店主はコンゴ出身。タンザニアから移ってきた。マラウイには9ヶ月いる。
彼もカナダ希望。なぜかというとフランス語圏があるからだという。
彼いわく、この難民キャンプには6000人くらいが暮らしているそうで
モスクも教会もたくさんある。学校もある。
彼の奥さんは亡くなってしまった。ということで、私が候補にあがるわけで。
悪くないなと思った(笑)。彼のお店で少し店番をしてお客さんに
「私の店へようこそ。何がほしいの?」と遊んだ。
彼と一緒にいたもうひとりの女性はブルンジから来ていた。
私はその国の名前さえ知らなかった。
 
私のデジカメをあやつる少年はルワンダから。ルワンダといえばツチ族とフツ族の
虐殺のイメージが強くそれ以上は聞けなかった。私は彼らと外に出て、撮影大会。
そして、ルワンダ語を撮りたいとルワンダ語をみんなに話してもらった。
「チャンバラを撮影して~!」と。「これで最後だよ!」といって撮影すると
きちんと終わる。「もっともっと~!」は無い。
どうしてもマラウイと比べてしまうが偉い。
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彼らは国連からの援助を受けていて他国への移住の審査をキャンプで待っている
というのが私の理解。当初、国境沿いになぜないのか疑問だったがそれが解決。
そして国が出来てから内戦もないマラウイを国連が選んだのかなと思う。
彼らは援助により月に14kgのメイズの粉がもらえているそうだ。
お金も貰えているのかは確認していない。
マーケットもあるし本当にマラウイの村とそんなに変わりがない。
でも人の中身が違う。このマラウイとの違いは教育なのだろうか?
確かに彼らは援助のお陰かデジカメを持っていたりする。
だからガツガツ求めてこないのか?マラウイには欠けている
「相手の立場になって行動する」がキャンプにはある。
 
マラウイ中ならどこにでも行けるそうで何の不自由もないと思えてしまう。
けれどもみんな他の国や母国への移住を希望している。
チャイ屋である人が「柵はないけれども刑務所にいるような感覚だよ。
いつ出れるかわからない。」と。
 
ヨリヨリのお店にもたっぷり滞在し、計5時間ほどの大満喫のキャンプだった。
本当にいい1日だった。そして今まではなんとなく難民は私の中で
関わらないだろうエリアだったけど、興味が湧いた。
もったいない。争いさえなければ・・・。と心から思う。
帰国したら難民について知ろうと思う。
この1日に本当に感謝。でも誰に感謝すればいいかわからない。
こういうとき、神様に感謝!なのかなぁ。
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2011/06/23 (Thu)
6月に入って朝晩が寒くなり、かつ「たまにはハイヒールはいてきてよ」
という病院スタッフにしょうがないなぁと少し薄着になるけど正装したため
風邪を引き始めた頃、2回目のヘルスセンター。
Euthiniヘルスセンターはムジンバから北に1時間半くらい。
今回からあっきーのレクチャーの間の時間を使って期限切れや過剰在庫を
集めることにした。
ヘルスセンターは今回も日本の支援で建てられた建てものがマタニティ用として、
その他に20床くらいの病棟および外来施設があった。
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そこにいるのは1人のメディカルアシスタント。
彼女が2万人くらいのエリアを1人でまかなっている。待合いには50人以上の患者。
それが朝から夕方まで続くそうだ。彼女が診察、処方、投薬を行う。
そんな中、薬品庫を見せてもらうと昨日薬をムジンバからもらったとのことだがスカスカ。
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これで2万人のエリアをまかなうの!?JICAの要請にはヘルスセンターの在庫管理が
挙げられている。管理しようにも薬がないでしょ。
とりあえずは期限切れを持ち帰る。
「昨日もランチを食べたのは夕方4時過ぎだったの」と。
それにしては肉付きがいいけど、でもでもただただ村レベルの医療を考えさせられた。
そして帰路につこうとするも「あるヘルスセンターで妊婦を乗せてから」
と連絡が入ったそうだ。
何時間かかけて着くとすでに緊急だったらしく自家用車で行ってしまったあとだった。
もし、携帯の電波がつながっていればこの分の時間とガソリンを無駄にせずに
できたのに…。
 
そして2日後、今度はJendaヘルスセンターへ。南に1時間くらいの場所だ。
サクッと終わり2時くらいには病院に戻れるな♪と思っていたが
どこかに患者を拾いにいった救急車が帰ってこない。
待つこと3時間、やっときた~と思ったら患者と保護者でいっぱい。
他のスタッフを優先させ、私とあっきーとムッシュ(ニジェールからの振り替えで
マラウイに派遣されたばかりで見学に来ていた)の3人で待つことに。
病院に着いたらすぐに折り返してくるから2時間後に!と。
 
5時になり、ムッシュが泊まっているマサさんに帰りが遅くなると電話。
するとどうやら、またも患者を拾ってからうちらを拾うらしいことが発覚!
9時くらいになると!!なぜトランスポートオフィサーが電話をしてくれないんだ!!
なら、公共バスで帰るか!?と急いでM1へ。
すると大型バスは5分前に出てしまったと・・・。
少しヒッチハイクしてみるもダメ。暗くなり寒くなってきた。
諦めて近くのレストランで夕飯を食べる。ひたすら話す。
ここのお米がめちゃくちゃおいしかったのがせめてもの救い。
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ひたすらいつ着くか電話する。来たのは9時半。
患者と保護者がたくさんのところに乗り込み寒くて暗い車の中ムジンバへ。
家に着いたのは11時。
 
連絡のとれなさ、とらなさ、ガソリンの問題、末端医療の問題
(県病院に来たからといって薬や医療は同じ気もするけど…)、
とにかく「難しい」ということを実感した2日間だった。
そして風邪は悪化し、口唇ヘルペスが出てしまうことになる私であった。
私は2週間くらい鼻水だらだらで1回ヘルスセンター行きを断念。
行ったあっきーは車の故障でこれまた遅くなり体調を崩してしまう。
 
マラウイ人はそんなに病気じゃない感じでもすぐに薬を飲む。
すぐに病院にかかる。最初はどうなの?って思っていたけど、
村レベルなら確かに予防感覚で飲むことはありかもしれない。
末端に行けば行くほど薬の量は少なくなり、県病院に行きたくてもすぐにいけないから。
一方で県病院では薬を処方なしで取ろうという人がいたりする。
(先月のミーティングでの私の発言+掲示で以前より少なくなったみたいだけど)
本当に必要なところになかなかいかない。
栄養サポートのためのピーナッツのペーストをどっさりもらう病院スタッフ。
たくさんのNGOなり国の寄付金、そして寄付によってまかなわれるたくさんの物資が
本当に必要なところにいかない。
それが現実で、かつ様々な理由でなかなか変えられない。本当に難しい。
2011/06/17 (Fri)

5月31日初めての有給。有給っていうか、公休っていうか…。
とにかく土日以外にとっていい休み10日のうち1日を使った。
ムズズのさとみんがマレーシアからくるシニアボランティアに隊員の活動見せついでに
ウィッチドクター(魔術的な医療をするドクター)見学もするけどどう?と誘ってくれたのだ。
同期隊員は任地から2ヶ月出れず、任期の短い私はどこに所属するわけでもなく
そんな私を私を仲間に入れてくれるとは本当に嬉しかった。

北のムズズから1日タクシーを借りて途中私を拾い、更に途中1人拾いルウェレジへ行った。
ルウェレジはマラウイを南北に走るM1と呼ばれる舗装道路から入り 30分くらいのところにある。
M1から道をそれてすぐ、下って橋を渡って上る。そんな道があった。
橋を渡って勢いよく上るはずが…。止まる。止まった…。
ドライバーはボンネットを開けあーだこーだ直そうとするも動かず。
ルウェレジ隊員のこうじろうくんがバイクで到着。見守るもこれはどうにもならなそう。
そして村では私たちが来るからと村人が待っている。
ということで、ちょうど1ヶ月前くらいにこうじろうくんが日本の放置自転車を
NPOを通じて50台ゲットしたその自転車で向かおうということになった。

こうじろうくんが村へ。ほどなくして汗だくのマラウイアンが自転車をこいできた。
そして私たちを後ろに乗せて再び村へ。30分以上かかっただろうか。
汗だくで村までこいでくれた。村にはたくさんの人。
そのあたりの村長さんたちも来てくれて村長さんの中の偉い人も迎えてくださって
取り合えずお芋とチコンダモヨウと言うメイズの粉の入ったケーキ、そしてミルクティを頂く。
おいしかった。こっちではミルクが高いためかミルクティになかなか出会わない。
村長さん宅のせいか、食器も頑丈で揃ってる。
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そして、みんなの集まる広場へ。
ヘルスセンターの人が司会をしてお偉いさん方の挨拶、そしてヘルスセンター関係の人が
作ったドラマ(劇)を2つ見せてもらう。
この地域では栄養教育が進んでいて6種類のグループからバランスよく食事をとることが
きちんと理解されている。
ドラマはチチェワだったけど見ればわかる感じで6フードポリッジ(お粥)の作り方を教え、
とってもおいしいわ!私も食べる~!私も私も~!!てな内容だった。
そしてそのあと6フードを工夫した食事が用意されて少しずつ食べてそして閉幕。
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予定よりかなり遅い到着だったにもかかわらず待っているマラウイアン。
それに対しマレーシアからの来たまさるさんは「優しいですね」と。
「でも、だからこそ逆の立場になるときはかなり待つんですよ。 
待てるから逆に会議の時間が1~2時間遅れになったりするんです。」と説明。
待てることの凄さと待たせることの凄さがマラウイのすごいところの気がする。
 
さて、この後地鶏&シマのご飯も頂き、待望のウィッチドクター登場。
スーツを着ている人がほとんどと言う中、怪しい人をこうじろうくんが探してきてくれた。
彼は何年か前に、自暴自棄になっているときに神からのお告げで亡くなった両親のお墓に
ピラミッドのようなものを作りなさいと。
作ったときに神からウィッチドクターとして人を救うことを命じられたそうだ。
彼は患者を見るとスピリチュアルパワーが降りてきてどこどこのどの木や葉っぱを
粉にして投与すればいいかがわかるのだそうだ。
彼は患者に神経を使うと自分も疲れ果てる。
その時はヤギの血を飲んだりドラムをたたくと復活するんだそうだ。
彼の持っていた怪しげな杖的なものからパワーをもらう私たち。
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通訳してくれたマラウイアンは信じていないと言う。
「幸運」と呼ばれる粉は離婚した妻を戻すことができるそうだ。
ラッキーがくるそうでとりあえず買うか!とみんなでいくらか聞くとタバコほどの
小さなボトルなのに5000クワチャという。
においはヒノキのにおい。どうせ使わないし、買わずに御礼を渡した。
本当は噂の「惚れ薬」が欲しかったが彼は持っていなかった。残念!
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そんなことをしているうちに車が到着していた!
「こりゃ、ウィッチドクターのパワーだね!」といって日も暮れてくるので帰路に急ぐ。
順調に走り出したのもつかの間、途中止まってしまう。ボンネットを開けるドライバー。
やっぱり幸運薬を買っとくべきだったか…。
日が暮れてしまう。泊まる場所はない。やぱい!ということで、ドライバーにある程度の料金を払い、
近くを通ったトラックにM1まで100クワチャで行ってくれないか交渉し、M1へ。
もう、日がほとんど沈んで寒くなって暗くなってきていた。
南へ下るメンバーと北に戻る私とあゆみちゃん。
ミニバスも通らない時間になり必死にヒッチハイクする。
2台のトラックに無視され、その後来た乗用車が止まってくれる。
「ムジンバは寄らずにムズズなら乗せていくよ。いくら?」
当初、ムジンバにあゆみちゃんが泊まる予定があゆみちゃんの住むムズズへ2時間半
1000クワチャで行くことになった。
いやはや、1dayトリップはあゆみちゃん宅で語りに語り終わるのであった。
あ~旅だった~!
 

2011/06/11 (Sat)
5月最後の金曜日。帰り際にスタッフたちと談笑。
「何してるの?」と聞かれ「ンクルータクニュンバ(家に帰る)」
と言うところを流行りの~したいの癖で「ンククンバクニュンバ(家が欲しい)」
とはっきり答え、爆笑される。暫くなんで笑われているか気が付かなかった。
あ~楽しかった。平和な1週間がまた終わってしまった。
 
さて明日は休みだし、たまには遠回りしようといつもと違う道へ。
いつもとは違う面々のマラウイアン。
しばらくすると、軒先から「サトウキビ食べない?」とお誘いが。
がぶついているマラウイアンを見ながらいつか試したいと思っていた
私は「じゃぁ!」とお庭に入っていく。
さすがに、外側をマラウイアンのように歯でむくことはできず
彼がむいてくれた。そして中身を頂く。
思ったよりやわらかかった。噛むと甘い汁がじわっと出る。
なかなか美味しい。ま、沖縄の方たちはよく食べているんだろうけど。
サトウキビを味わいながらいろいろ話す。
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彼はアイザック。仕事は絵描きでTシャツとかのデザインもしていると。
しかしながらやっぱりそれだけではダメなのか、将来は農業や家畜を
やりたいと言っていた。
アイザックから名前を聞かれ答えると「中国人らしくない名前だね」と。
「いやいや、日本人なんで…。」という。
そこからまた日本の話になって途中、アイザックが
「そういえばこの間の震災、ひどかったね。かわいそうに。」と。
そこでひらめいた!この人に何か描いてもらおう!
 
そうして、すぐにそのことを伝えると「もちろん!」と。
うちにあった紙を取りに来て、翌日には色鉛筆を届けた。
そして完成したのがこれだ。素敵。
トゥンブカで書いてあるのは
「お悔やみ申し上げます。私たちはいつもそばにいるよ。」的な意味。
嬉しいなぁ。優しいなぁ。
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先日、被災地の方たちに届ける教会の人たちの歌の撮影も1撮影終えた。
だけどハーモニーが気に入らなかったらしく後日再度撮影をすることになった。
気軽にウォッチマンに頼んだけどわざわざ各グループでうまい人を選出して
練習までしてくれている。本当に優しい。
マラウイから日本へのメッセージ。嬉しい限り。
心からイウェオチョメーネです。
 
半月前くらいに来たJICA広報の方が、来る2週間前に被災地に取材に行ったとき
まだまだガレキの山だったと聞いた。
姉からは現在でも10万人が避難生活と聞いた。
メッセージが届いて少しでも気持ちを和らいでいただけたらと思う。
2011/06/02 (Thu)
5月23日、初のヘルスセンター。
朝の8時出発の予定がミーティングが入り、終わってガソリンを取りにいき
分配され、車が用意できたのはお昼を過ぎていた。
そしてトランスポートオフィサーから「亡くなった人と一緒の車で。ごめんね。」と。
トラックの荷台に亡くなられた方と家族、そして
テラ(ヘルスセンターでの栄養指導を提案してくれたマラウイアン)が乗って
私たちは助手席。申し訳ない。
 
いつも亡くなった方は病院の安置所に歌と共にいくはずなのになぜ
この人は病棟から直に家に運ばれるのか運転手に聞いたところ、
「マタニティだから」と。
子供がまだ中に入っているときのみ直接家に向かうそうだ。
翌日、モーゼスにその理由を聞いたところ「妊娠したら死んでしまうと思って
みんな妊娠することを怖がるから」とのこと。そっかぁ。なるほどね。
 
さて、1時間弱で村についてヘルスセンターなるものを初めてみた。
規模は日本で言うクリニック。
日本の援助で建てられていたコンクリートのヘルスセンター。
その横の屋根のあるスペースに50人くらいの村の人たちとヘルスオフィサーが
待っていた。
本来はヘルスオフィサーのための講義なのだが村の人にも知ってもらうのは
いい事だ。ただ、村人対象となると講義内容はより簡単にしなくてはならない。
病院の外来でも講義を始めようと作っておいた患者用原稿を読むことにした。
 
まずは村人たちが歌を歌ってくれる。
歌のあとにあっきーの講義。そして私の講義。
CD4とHIVの関係となぜ薬をきちんと飲むことが大切なのか?
そんな内容で話す。マラウイアンのいいところは超参加型なところだ。
CD4を知っていますか?」「ヤーイ!(いいえ)」といい感じに
答えてくれる。
講義を終えてあっきーと同じように「質問は?」といっても、質問が来ない。
あっきーの栄養教室で今までも質問は何人かいるのに難しかったかなぁ…。
そう思っていると1人手を挙げた。なんだかチトゥンブカで言っている。
通訳に聞くと、「今回の内容を私の地域の人たちにも伝えます。ありがとう。」
といった内容だった。嬉しかった。初めての講義に嬉しい言葉だった。
やっぱり、ここに来て臨床が好きなんだなぁと自覚した私には
患者さんからの感謝の言葉が何よりも嬉しかった。少しは役に立てたかな?
 
このあと、あっきーが6フードお粥の作り方を実践し終了。
地鶏とシマをヘルスセンタースタッフのおうちで頂き、
かぼちゃのお土産ももらい亡骸を運んだトラックの戻りを待つ。
ヘルスセンターから期限切れの薬をもらう予定だった私は
近くを通りかかった人に「中に人がいない」と言ったところ
電話をして呼んでくれた。
 
その人は学校の先生でちょうど生徒の1人を肺炎で診てもらいたい
からと一緒に待っていた。他にも生徒が10人くらいいて
先生を介してかなりの時間おしゃべりした。
すると先生は昔、数学を日本人に習ったと言う。
きっと昔のJICAボランティアだ。
その日本人は日本に帰国後、学校の先生になったらしい。
そこで「その日本人は結婚してるの?」と聞くと
「もう30年くらい前の話で50歳くらいだからしてるよ。」と。
「お~残念!!」と私。生徒は爆笑。
 
その時代は、日本→香港→イギリス→エジプト→南アフリカ→
タンザニア→マラウイというルートで来ていたらしい。
すごい…。すごいなぁ。もし今でもそんなルートだったら
私は果たしてマラウイに来ようと思えただろうか?
そう思うとすごいなぁと尊敬する。
そして何年もたって日本人に教えられた生徒が今、こうして
先生となってみんなを笑わせている。
あ~、すごいなぁ。その人もすごいけど日本って偉いなぁ。
と客観的に思う。今でさえ7%の電気普及率のマラウイ。
30年前なんてどんなんだったんだろう?
そこに派遣しようと考えた昔の日本のお偉い方。すごい。
 
生徒に日本語で1から10を教えて、でも覚えきれないので10人に1つずつ
数字を与えて、みんなで1から10を数えてもらった。
シュールな動画が取れた。みんなで動画を見てたくさん話して
たくさん笑った1日だった。向かって左端が先生。いい1日だったなぁ。
 P1090344.JPG








翌日から外来の待合室での講義も週2回で開始。もとからやっているあっきーの
栄養講義と私の薬講義。いいセットだなと思う。
そこでは他の薬との飲み合わせを聞かれたり、薬が効かないなどの質問もあった。
講義内容を改善してよりいいものを作っていこう。
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