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元気なうちにやりたかったことをやろう!そんな思いで2011年3月より8月までマラウイで薬剤師として派遣されるマラリエ生活を綴った日記です。
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2024/05/05 (Sun)
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2015/03/11 (Wed)

2011年は私の人生の中で大切な年。
東日本大震災のあと、マラウイに旅立ち、帰国後岩手、その後は東京で避難者の方たちと関わった。あれから4年。

2014年も私の人生の中で大切な年だった。

私は小さいころから「死」の後を考えると怖くてたまらなかった。
今、こうやって考えている思考は、これが消えるってどういうこと?
考えると寝れなくなった。

薬剤師として病院で働き、「死」について「残された時間」について考える。
そこから「自分」の「残された時間」を考えて2011年に繋がった。
http://malarie.fukuwarai.net/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%A8%E8%AA%95%E7%94%9F

2013年12月に私は2歳の女の子と出会う。
彼女のママは出産時に亡くなっている。
彼女を通じて、そして2014年から移動で配属になった小児科病棟で出会う子供たち、親友たちの出産ラッシュ、講演会で聞いた助産師さんのお話、自分の年齢、この1年これでもかというくらい目の前に「生」がどんどん出てきた。
「血の繋がり」「親子」「生」について考えさせられた。
考えすぎて体が動かなくなった。
頭だけは動いてぐるぐる考えて、考えを止めるために、もうこの世界やめたい!なんて思ってしまったりした。
誤魔化すために本を読み始めた。
そんな中、以前から興味のあった心理に足を踏み入れる。

私が出会ったのは「今ある葛藤は、小さいころの消化できていない親子関係などから来る感情」というところを基本にしているもので、腑に落ちた。
そこから自分、そして自分と両親の関係に向き合い始めた。
  
やっと1年たって、グルグルしながら気が付きながら、また戻りながら今、心に根付き始めたことを記す。
自分が生きてきた考えてきたことを違う視点で捉え始めた。
 
死は悲しいこと。でも悪いことではない。
悪くしてしまったら、亡くなった人も生き残った人もどちらも辛い。
どちらも悪くない。 悲しい。辛い。でも悪くない。
死を否定することは生を否定すること。


過去の出来なかった後悔、助けられなかった罪悪感に生きない。
未来の不安に生きない。
その中に生きるということは「今」を生きているのに、「過去」や「未来」に生きていること。
「今」なんだから、「今」を生きる。

「自分」を生きる。
子供、親、他人のために生きない。
亡き人のために生きない。
「~のために」生きるなんて、自分の人生じゃない。
「あなたのために」は余計なお節介。
自分以外の人は、自分が笑って幸せでいることが嬉しい。
大切な人は大切な人が笑って幸せでいることが嬉しい。
 
ママを覚えていない女の子、奥さんを亡くしたパパ、障害を持って生まれた子、障害がなくても親に育児能力がなく乳児院の空きを病院で待っている子、親を知らず施設で育った子、発達障害だと診断された子、何かしら悩んでいる子、何かしら悩んでいる大人、私。
 「かわいそう」なんだろうか。
同じ障害を抱えていて反応がない子供も、家族が笑顔でいるとその子も幸せに見える。
「かわいそう」なのは「不幸」なのは、そう周りが思うだけ。
そう自分が思っているだけ。
「幸せ」と思うのも自分が思うだけ。
 
短い人生だろうが、長い人生だろうが、その1部分だけ切り取らない。
1部分だけを切り取ってみると「不幸」だったり「辛い」と感じるけれど、人生まだ途中。
1部分だけ切り取って人生終わろうとしない。人生終わったと感じない。
人生は続いている。人生諦めない。

人の心はわからない。わかろうとしない。
http://malarie.fukuwarai.net/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E6%99%82%E9%96%93
 
抗がん剤治療をしている患者さんが言った。「私は人生諦めない」
そのとき、私は自分で自分の人生が途中であるのに切り取っていたことに気が付いた。

秋に参加した講演会で、助産師さんの話を聞いた。
助産院では医療行為であるため会陰切開を行わない。
自然な出産では、赤ちゃんは一度頭をだし、そして引っ込むそうだ。
そうして出口を一度広げて、次の陣痛のタイミングで生まれてくるのだそうだ。
赤ちゃんは出やすい方法を、自分のタイミングを知っている。
 
こうして生まれてきた 私たちは、きっと案外知ってる。
 私、このままじゃ生きていけない。そう思ったけど、生きてる。
案外強い。「勝手に」弱いふりしてた。
でもそんなときもあってもいい。

完璧にならなくていい。

私、何を完璧になることを頑張っていたんだろう。

亡き人と共にいれないことは残念。
亡き人との別れの悲しみは消えることはない。我慢することもない。
たくさんたくさん悲しんで、叫んで、声に出して天に届けよう。
言葉にすることは大切。聴覚を通じることで無意識にも届くから。

たくさんたくさん、考えてグルグルして、その結果、思った。
「考えなくていい」「答えはなくていい」
創業スクールで、ある社長さんが言った。
「答えのない問いと共に生きる」
人生も、そうなんだな、きっと。

悩みは無くならない。悩みを楽しむ。そのくらいで生きる。
 
東日本大震災後の陸前高田は街がなくなってしまっていたけど見えない温かい心が集まっていた。
目に見えない女の子のママ。
目に見えないものが大切なことを私に教えてくれた。

前回の投稿で私はこんなことを書いている。
「個人の記憶や想いは、何においても、他人がコントロール出来るものではなく、ましてや、自分でさえコントロール出来ない。忘れまいとしても忘れてしまうし、忘れようとしても忘れられない。記憶や感情が自分でコントロールできればどんなに楽か。だから、強制してもしょうがなくて、しょうがないな、と思えればいいなと思う。」
 
 

 グルグルからどうやっても抜け出せない時がある。
人から見ればちっぽけなこと。
どんなに人に何を言われても、どこへ行っても自分でどうしようもないくらい抜け出せない。
時間だけ過ぎて、街は、社会は、みんなは進んでいっていて、自分だけ取り残された感覚。
それでもどうにもならない自分。
なのに、1年半前の私はとっくに答えを書いていた。
「しょうがないな」と思えば良かったんだね。

かかる時間はひとそれぞれ。落ち込むこともグルグルすることも悪くない。
全ては悪くない。

答えは全て自分の中にある。

こうやって、何度も同じ問題に時々ぶち当たっていることも気が付いた。
何度もぶち当たってもいい。もしかしたら、その方が人生っぽい。
「またやっちゃった。しょうがないな。」そう思えればいい。
 「おっとっと。今を生きなきゃ。」と気が付けばいい。

2011年は「残りの人生」を考えて「今」を考えた。
2014年を経て、2015年は「生まれた」ことから「今」を考えた。
似ているようで違う。
どっちでもいい。
でも、気が付けてよかった。
たくさんの人とのご縁、見えない心とのご縁が教えてくれた。

結局、考えるのが大好きで真面目すぎて、それが私なんだな。
考えて考えて、以前の私に戻るだけ。
少し視点が増えた自分に戻った。

 さぁ、「自分」を「今」を生きよう。
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2013/08/29 (Thu)
先月、岩手県大船渡市起喜来(おきらい)に起喜来チルドレンの皆さんとご一緒させて頂いた。
今まで、被災地でたまたま初めて訪れたところが陸前高田市で活動のしやすさもあり、岩手というと陸前高田に行っていた。

大船渡は隣の市。私が起喜来チルドレンに出会ったのは2012年3月。
起喜来に北里大学の水産学部があった。(震災で校舎が使えなくなり、今は神奈川へ移転している。)
そこで学び過ごしたOG/OBの集いでガレキーホルダーを販売したときだった。
(そこに辿り着く経緯は→http://malarie.fukuwarai.net/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E3%81%8B%E3%81%91%E3%82%89%E3%81%AE%E5%BA%83%E3%81%8C%E3%82%8A
そして、そこで震災後、その起喜来の海底清掃をしていると知る。
 
2013年5月。1年2ヶ月ぶりに起喜来チルドレンのおじさんに再会。
全く別の知り合いであるおじさんたちと、そのおじさんとで飲んでみたいと、ふと思った私発信の飲みで初めてきちんとお話する。FBでコメントを下さったり、なんとなく、おじさんとは興味や考え方が合うなと思っていたけれど、実際話すと興奮!!
そんな中、活動に参加させていただくことになり、兼ねてから気になっていた「起きれば(私の中では毎朝)喜びが来たる土地」というパワースポット(笑)の起喜来へ行くこととなった。
 
7月26日夜、東北は雨続き。隣の陸前高田を通って大船渡へ向かったわけだが、途中の気仙大橋の前は冠水で通行止め。解除されてからも片道ずつゆっくり水の中を進む。
朝5時過ぎ。8ヶ月ぶりの陸前高田。私にとっては、明らかに変わっていた。今まで何度か訪れているけど、初めて大きく変わったな、と思った。
高田病院が無い。マイヤが無い。高田高校が無い。ずっと残っていた家の屋根が無い。朝靄の幻想の中、街の後に雨がいくつもの大きな水溜りを作っていた。
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起喜来に着き、車で仮眠を取って予定時刻に起きるも雷が止まないため待機。
雷が止んだのを確認して活動開始。
①陸上部隊がロープを投げる。
②ダイバーが海底の瓦礫をロープにつなげる、もしくは網の中に瓦礫を入れてロープにつける。グイ!グイ!と男らしく引っ張り、上げていいよの合図。
③陸上部隊がロープを引っ張る。

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瓦礫を上げていくにつれて、生活が見えてくる。瓦、洗濯機のホース、電話の子機、急須、ビデオテープ。
今回は大学生、高校生、小学生も家族で来ていた。一番小さい3年生の男の子。じっと瓦礫を見て、子機のボタンを押していた。私が「ビデオテープ、何がうつってたんだろうね。悲しいね。」なんて話しかける。無邪気に瓦礫の中から小さなカニを採って遊んだり、とってもかわいい男の子。3兄妹の末っ子。この3人はお母さんと一緒に何度もこの地に来ているという。初めてお父さんと一緒に来た高校生もいた。親や他の人と一緒に活動する。素敵だなと思った。IMG_2013082931745.jpgIMG_2013082951867.jpgIMG_2013082913183.jpg

 









最近、思う。個人の記憶や想いは、何においても、他人がコントロール出来るものではなく、ましてや、自分でさえコントロール出来ない。忘れまいとしても忘れてしまうし、忘れようとしても忘れられない。記憶や感情が自分でコントロールできればどんなに楽か。だから、強制してもしょうがなくて、しょうがないな、と思えればいいなと思う。
そういう中で、家族で一緒に海底清掃をすることは「素敵な教育」だなと思った。
 
海底には上の写真以上にまだまだホタテや牡蠣の網があるという。
大人数でなければ、埋まっているものを引き出すことは難しい。
左下は1年前に起喜来チルドレンが海底から引き上げた写真。瓦などに既に海草がついていたりすると、それは既に海の一部。しかし、網は中の鉄が錆びたあと、プラスチックの紐が残ることにより魚が食べてしまう。だから、取り出さなければならない。さすが水産学部。
帰りには、ボランティアセンターでお世話になった方と1年半ぶり、陸前高田のボランティア先だったおじさんと約半年ぶりの再会。元気でなにより。元気って大切。
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最近、途上国でも先進国でもどこでも教育って本当に大切だなぁと思う。
大きくなった大人たちは、個が出来上がっているのでなかなか新しい考えなどを浸透させるには難しい。私たちが今当たてり前と思っていることは、小さい頃からの環境、教育がそうさせるわけで、だから、今の世の中をどうにか変えたいととか、このことを伝えていくためには子どもへの教育・環境が大切。
 
今回お世話になった起喜来チルドレンの皆さんは、自分たちのチルドレンにも、起喜来にも喜びを来たす素敵な方たちだった。私も子供たちに寄与できるそんな大人を目指したい。
 
2013/04/04 (Thu)
2013年3月4日私はマレーシアのコタキナバルの職業訓練校で「マラウイを通して私が感じたこと」を講義させて頂いた。
ちょうど2年前の2011年2月の最終週、私はJICAの短期派遣者の5日間の訓練を受けていた。短
期派遣者と共に語学免除の派遣者も受けており、その中で今でも唯一繋がっているおじさまがいる。訓練を終え、熱いメールのやりとりで、仕事を前の週で辞めて実家に引き上げるバタバタの中、メールに涙したことを覚えている。
私を「一番の同期」と2年前からいってくれている。
 
今年、おじさまに再会することがとても重要な気がして、マレーシア行きを決めた。
おじさまは長期派遣のため、短期で早く帰国する私に「マラウイから帰ってきたら私の学校の生徒にマラウイの話をしてください」と2年前に言われていた。
2年ぶりの再会、2年ぶりの約束。
 
改めて、マラウイで私は何を感じたんだろうと振り返った。
今、病院に来る薬学生にもマラウイの医療を紹介させてもらっているが、日本人に伝えるのとは違う。
「日本人」である私は何を感じたんだろう。ち
ょうど国の発展でいえば、マラウイと日本の間に位置すると思われるマレーシア。物質的には日本と変わらない。おじさまは彼らは精神面で発展途中だという。
 
私たちが小さい頃、たくさんの先生の話を聞いたと思うけど覚えているのはわずか。私の話を覚えてて!なんてことは言わない。アフリカを近く感じるきっかけになればと思った。そして、1人でもほんの一瞬、心の中の何かのきっかけになればなと思った。
 
3月4日朝早く、マラウイアンドレスをまとった意味不明な日本人は学校へと向かう。
タイムカードを押しに来るスタッフ。そして車でどっか行ってしまう。押しに来て家に帰る。夕方も同様。もちろん一部の人だけど。マラウイで、タイムカードがあればなぁ、なんて思ったこともあったけど、こうなるのね。
必要なのは物じゃない、精神なんだな。
 
朝礼を拝見。
クラスごとに整列して校長先生の言葉を聴く。トゥドゥンと呼ばれる頭からかぶる布をかぶっているかいないかで女の子はイスラムかどうか一目瞭然。そして、校長の話を聴いているとき手を上にして受け止めている。
話が終わると…飲んだ!!イスラムではお言葉を飲むらしい。
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午前中。50名程度の生徒と先生に対して講義。お話しながら途中で写真や動画を見せていく。

①マラウイについて
イギリスの植民地であった,国家予算の40%が寄付,キリスト教の次にイスラム教が多い,
主食のシマ,妊婦は砂を食べる,砂と水で作るブロックとそれで出来ている教会,炭を入れたアイロン,
マラウイの職業訓練校→マラウイ隊員に頂いた写真を紹介。マラウイの生徒は仕事に就きたいと強く願っている。
マラウイには十分に仕事はなく、マラウイで先生をしている友人の言葉
「仕事を得るために、仕事のために勉強できることは本当に幸せだ」を紹介。
〈マレーシアでは卒業しても就職しない生徒が多い〉

② 私の仕事
ボトルから袋に薬を小分け,5S活動(整理整頓など),HIV陽性の患者やクリニックのスタッフに薬を飲み続けることが重要であることのミニミニ講義

③私が感じたこと
【病院で】
不足がより悪い循環を作る
(お金が無いから薬が買えない→薬が無いからプライベートの高い薬を買う→お金を返せないから国が貧しくなる)
処方箋無くスタッフが薬を持っていく(長い列を作り待っている患者は悲しく思うのに何故それが出来るのか)
会議に遅刻する(待っている人は時間の無駄、つまらないのに何故そうするのか)
5S(自分のためではなく、次に使う誰かのためでもある)
【村で】
不足が不足をもたらす(薬が足りない→貴重なガソリンを使って大きな病院に取りに来る。電気が無いためメールができない→薬の在庫を紙で車で運んで持ってくる。電気が無い→ガソリン不足、そのためのお金も費やす。)

⑤たくさんの問題があるけど、たくさんのあったかい心もある。
貧しいことは必ずしも不幸せではない。しかし貧しさは容易に突然に不幸をもたらす。
初めてマラウイに来た時に、こんな健康そうな人に薬が必要なのかと思ったけれど、
彼らにとっては悪くなる前に薬で治療することが大切。彼らは容易に死んでしまう。

では、彼らに何が必要なのか。薬をきちんと飲むこと、手を洗うこと、きちんとした情報を得ることが必要。
私はマラウイ4番目の年に住んでいたけど本屋は無い。
新聞は一般の人には高い。テレビも一般家庭には無い。
彼らはラジオや人づてに情報を得ている。
だから教育が大切。文字を読むため、本を読むため、世界を知るため。
マラウイの難民キャンプで日本語を勉強するコンゴ人。
これから先使うことのない言語を楽しく学ぶ姿勢。

私たちはこの世に生まれてとってもラッキー。時間は限られている。
もし、幸せなら長い人生はいい。そのためにはお互いがお互いを思うことが大切。
それは時間を守ったり5Sだったりにもあてはまる。
そして、教育は必要。

私のマラウイの友人が「なぜこんなに優しくしてくれるのか?」と聞いてきたので「それはあなただから」と言った。
私も彼に同じことを聞くと「それはあなただから」と言った。
お互いに思いやること、そうすれば私たちはみんな幸せになれるんじゃないか。
そうマラウイで感じ、それをマラウイで学んだ。
ハビス!(マレー語で終わり)
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私の後半のあっつい話しになると、ニヤリとして、熱い奴の話にうんざりな生徒もいたけど映像とか写真とか後ろの方の生徒まで首を伸ばして見ていて、嬉しかった。やっぱり子供の歌って踊る映像はみんないい顔して笑って見てたな。
複雑に考えず、感じればいい。覚えていなくたっていい、知らなかった世界に少し触れるだけでいい。
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午後は15名ほどのクラス。
訳す先生もいなく、英語力が午前に比べ劣るというので、文を短く、簡単に話したら30分で終わり質問タイムになった。
「子供たちは学校に行けてるの?」とか、「アルバイトでアフリカに関係する会社で働いててアフリカをもっと知りたいんだ」とか、澄んだ質問がいくつかあった。
少人数だったせいか、2回目であったせいか、1人1人の表情を見て話せて、眼が真剣で優しい生徒がいた。
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各授業とも最後の最後は日本からのお土産。
桜の写真を見せて「これは何か知ってますか?」というと「SAKURA!!」とみんな知っている。
「私たち日本人は春を感じ、時に桜茶を飲んだり食べたりします」といって、桜餡の揚げ饅頭を1人ずつ渡した。
1つずつに「時間を共有してくれてありがとう」と裏に、そして表に
「Tere makashi banyak(マレー語) Yewo chomene(トゥンブカ語) ありがとう」と書いた紙をつけてある。
トゥンブカ語についてYewoはありがとう、chomeneはとても、と説明すると1人が「かわいいchomene!」と私に言ってくれた。
なんて素晴らしい!!マレーシア人が日本語とトゥンブカ語をミックスさせた!!
意味も完璧!!大満足で講義を終えた。
 
以上が私の宗教活動。残念ながら、ごっくんと私の話を飲んでくれる生徒はいなかった。
いつか私の話を両手で受け止めて飲み込んでくれるようになったらいいなぁ。
おいしいSAKURAでマラウイは吹っ飛んだかもしれないけどそれもあり。
 
日本人がマラウイをマレーシアに紹介。
マレーシアに紹介することで違った視点で見直すことが出来た。
日本人の多くは、「見えない」相手のことを想って行動できるんだなと帰国後1年半たってようやく気がついた。
マラウイにいたときにはそれに気がつかなかった。
もちろん全ての人ではないけど、目の前の人には手を差し伸べることが出来るけど、自分の目の前にいない薬局の外で待つ患者さん、会議室で待つ人、次にその道具を使う人、見えない相手を考えることが出来ない。日本人はそれが出来る。
この精神はいいと思う。もし、そうできたら、きっとマラウイアンもお互い嬉しいし気持ちいいし、もっと幸せに思うと思う。
だから、そのためにはやっぱり教育、教育が必要なんだな。
マラウイには5ヶ月しかいなくて、そんな私が語るなという感じだけど、私がたまたま出会ってたまたま感じたことをたまたま誰かに共有する。それでいい。
だって、全世界を知るのも全人類に会うのも不可能。出会いはたまたまだから。
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たまたま2年前出会った今回の貴重な機会を与えて下さったおじさまに心より
Tere makashi chomene!!
 

 
2013/02/27 (Wed)
2012年11月末。
福島からの避難者の中学生の家庭教師を3月からやっていた。
勉強の合間に震災のこと、彼女が想っている事、恋の話も含めて(笑)いろんなことを話しあった。
夏に彼女から「被災地に行きたい」とお願いされた。
自分の住んでいたところにはいけないから、私の知っている陸前高田でいいと。
冬も近づき、足も無いのでツアーで行こうと思っていた。
そんなときに、4月にボランティアにいった先の地元のおじさんから秋刀魚が送られてきた。
お礼の電話をして、「11月に行こうと思うけど足も無いし、ツアーになるので会えません。」というと、
「迎えに行ってやる。ボランティアしたいなら送り迎えもしてやる。うちに泊まれ。」という。4
月に別れ際、涙していたおじさんのぶっきらぼうの優しさ。
のっかることにした。                   
 
気仙沼の港で待ち合わせ。奥様と始めましてのご挨拶。
気仙沼の昔と現状をおじさんが説明してくれる。
大船渡湾を見下ろし、陸前高田の希望の灯火を感じ、大船渡の復興屋台村でお昼。
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スーパーマイヤでお買い物して、教え子と黒崎温泉に下ろしてもらう。
温泉に入る前に海辺へ。
2011年3月11日から2012年11月のこの日まで、彼女は東北の海を見ていなかった。
中学校から避難して以来、1度も家を見ていない。
見たいみたいといっていた東北の海。
お風呂からも眺めて、夜は震災のあとに作ったおじさんのお店でご飯。
カラオケが出来るようになっていて「歌え!」と言われ、2人で歌った。

おじさんのお店には名前を書き込める看板のようなものがあって、書いた覚えの無い私の名前が書いてあった。
聞くと「俺が書いた(笑)」とおじさん。改めて、自分で居住地と名前を書く。
そして、教え子にも勧めると「福島県 双葉町」と書いた。
前に、「今、帰れるっていったら帰る?」と聞くと
「東京に残る。福島は、ばぁに住んでもらって時々いくのがいいかな。
東京は、なんでもあるし、面白いから。」と言っていた。でも、やっぱり、福島なんだよね。
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夜は、おじさんちで寝て、翌日はボランティアセンターへ送ってもらう。
平泉にも行きたいと希望あり、半日のボランティア。
内容は側溝の泥出し後の、分別。
教え子が靴を持って「見て…」と。
時計も、毛糸の帽子も、色んなものが出てきた。
 
すぐ近くにはお花を植えている方がいて、お話した。
このあたりは、ちょうど山に登るキワで、犠牲者が多かったそうだ。
このあたりの家の人はみんないなくなってしまって、
ある時からマリーゴールドを家の跡地に植えていたところ、
市役所の人が事情を知り、そして、街づくりが始まるまでの期間限定で花壇にしようと言う事になったそうだ。
1人の想いに1人が気がつき、たくさんの花になった。
この花壇の脇には大きな岩がある。
ボランティアセンターのスタッフが教えてくれた。
この岩には5本松といわれる松があったんだと。
今では、子供たちもこの岩で遊んでいるよ、と。
 
お昼になり、おじさんが「お~い!」と迎えに来てくれた。
周りのボランティアさんに「すみませんねぇ」と自分の子供のように迎えに来てくれた。
そこから、平泉へと送ってくれた。
平泉を歩いて、一関から来ていたボランティアさんに教わった餅御膳を食べて、東京へ。
新幹線に乗る前におじさんに電話をして、「本当に今回、おじさんのお陰で…」と言ったところで「そんなことは、どうだっていいんだよ。うるさい!!また来るんだぞ。」と。
別れ際「いや~、喜んでくれて、いや、間違ってたらあれなんだけど、喜んでくれてるみたいでそれが一番嬉しいよ。」と言っていたおじさん。
4月に出会って以来のおじさん。なのに、冗談言う私の頭を小突く。
嬉しいな。
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この何年か、何か変わった気がする。
「またね」が昔は「会えないとは思うけど…」というニュアンスを含んでいるときがあった。
それが嫌だった。嘘じゃん、と。
嘘は嫌いで、だから、会えないと思うときは「またね」と言わない、そうしていた。
でも最近は違う。「会う人とは会う。それが何年後であっても。」
昔はその間が空くことにさみしさを覚えていたのかもしれない。
けど、今は違う。また会う人には「またね」と言う。
 
なんか、再び会うと、また会えると安心する。
だから、私にとって再び会うことは時に必要で大切。
 
2012年に続き、贅沢に、再び会うこと、会いたい人に、
必要な人に、会いに行く旅をして行こうと思う。
目的は場所ではなく、人。うわ、贅沢!!
時間を共に過ごす。最高の贅沢だ。
 
2013/02/25 (Mon)
去る2012年9月約1年ぶりにマラウイを訪れた。
でもやっぱり、マラウイのためだけに航空券20万越えは痛い。
ということで、行きたかったザンビアにも行くこととした。
 
夏休みと聞いて、とかく行きたい所もなく、でも会いたい人、見ておかなきゃいけない場所があった。
帰国してから1年間、たまに電話で話していた大好きな警備員。
私のマラウイで思い出すのは近所の子供たちと彼。
誰との別れが一番つらかったかと言えば彼だった。
なのに、この1年、彼と話していて、途中から少し「本当のこと言ってるのかな?」と疑うときが出てきた。
そんなのすごく残念で、でもなんかしっくりこなかった。
でも、1年ぶりにビックバスから私を待つ彼の顔を見た瞬間、そんなの吹き飛んだ。
彼の笑顔は本当だった。ごめんごめん、本当にごめん!そんな感じ。
メールよりも手紙、手紙よりも電話、電話よりも直接会うことが何より一番だと学んだ。
会えば、会話なんてする前にわかっちゃった。な~んだ。
 
賞味2日間彼と過ごして、彼のおうちで祈りを頂き、なんともいえず自然と涙が出た。
ある意味、宗教。困ったもんだ。でも、涙が出ちゃうんだもん。仕方ない。
彼ならだまされてもいいや。でた、ダメ女。困ったもんだ。
*ちなみに彼は彼氏でもなんでもなく、1個人です…
 
もう1人の警備員には行くことを知らせていなかった。
1人、ムズズからムジンバに帰ってきて「あ~ジャカランダが咲き誇っているわ♪」と
花をめでながら病院へ向かおうとすると、少し先で立ち止まる人がいる。
「Rie!!」と彼。お~!!思いもよらぬ再会で、これはこれで嬉しい。
聞くと、ある隊員の警備員として雇われていると言う。良かったね~。
で、「そういえば一度もうちに来たことがないよね。」となり、お宅訪問となる。
小さな住まい。リビングは2畳ないかなぁ。台所スペース0.5畳、寝室1.5畳そんな感じ。そのリビングの壁に私との写真が飾ってあった。え~!!ありがたい。
 
病院へ行くと、これまた知らせていなかった人が私を見て「お~夢か!?なぜ!?」と目をこする。ベタだね。彼のキャラもあって、笑えた。
違う人は「自費で来たの?」と。「自費!!」と威張って言うと、ものすごく喜んでくれた。
病院脇を歩いていると、夫婦という設定で毎日my wife♪my husband♪と呼んでいた人と偶然会う。強烈なハグ!!
 
大好きな近所の子供たちは、会えなかった。警備員が探そうかといったけど、自然に会えないならそれはそういうこと。でもちょっぴり残念だなと思っていたら、最後の最後に隣に住む子供たちと再会。覚えててくれたこと、元気でいることに嬉しかった。
 
私のマラウイ訪問は何をしたわけではないけど、「あ~行って良かった~!!」だった。
ザンビア行きのバスの運航日を考えていなくて、マラウイが5日くらいしかいれなくて、マラウイだけにすべきだったなぁとも思ったけど、ザンビアに行ったから出会えた人もいて、結果、よかった。
そして、なんだか薬剤師にこだわるというか、それを利用するのが当たり前っていう自分の枠が取っ払われて、新たな夢が出来た。
違うな、その夢のためには取っ払わないと無理なんだってことに気づいたんだ。
 
「自分が余命1ヶ月だったら」を思って、動いたまだ叶えていなかった「海外で医療従事者として働く」という夢は中途半端だけど、まぁ、叶ったことにしよう。
次の夢が見当たらなかったけど、その私にでっかい夢が出来た。
叶わなくとも、叶う日が来るといいなと思って、ゆっくり、そして健康であることが第一で、その中で歩んでいこう。
そう思えば、なんだか叶う気がする~。
見た目は大人、夢の中身は小学生。
少女はでっかい夢を追いかけていってみようと思う。
実際はなかなかのおばさんだけど…。
でも、いつこの命が終わるかわからないし。
自分の意図とは別に、突然に、簡単に不幸が訪れる人たちを想えば、そうすべきだよ、きっと。
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