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元気なうちにやりたかったことをやろう!そんな思いで2011年3月より8月までマラウイで薬剤師として派遣されるマラリエ生活を綴った日記です。
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2024/05/18 (Sat)
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2011/10/04 (Tue)
9月1日から活動のはずが台風でボランティアセンターがお休みだという。
前日の引越しで疲れきっていた私は体を休めた。
翌日、既に活動されている人にボランティアセンターと陸前高田を案内してもらった。
お休みとはいってもボランティアセンターにはスタッフがいた。
この休み中にレイアウトをよりよくしようと改善したり、届
いた物資の置き場を考えたり、そしてミーティング。
物資の移動など手伝い、その後市内を案内してもらった。
 
ボラセン(ボランテイアセンターの略)は市内から15分くらい
車で行ったところにある。そのためその周りにガレキなどは見当たらず。
市内へ向かいながら景色が変わっていくのを見た。川沿いの杉は塩害で茶色くなっていた。
途中から壊れた車が少しずつ道路の両側に見え始めた。お寺も一切、窓ガラスが無くなっていた。
仮設のスーパー、仮設のローソンを過ぎて、少し上がって仮設の市役所を通り過ぎ
下りきると目の前に開かれた土地が広がり、と同時に左手にものすごい数の車の山。
海までの広い土地にほとんど建物は無い。
病院、市役所、消防署などコンクリートで出来た建物が何個かあるだけ。
 
実感が湧かなかった。ガレキの大きな山はあるけど、街があったということが
信じられなかった。約3週間いたけど未だに実感が無い。
コンクリートの建物の近くに行くと中がぐちゃぐちゃで、実感が少しする。
驚いたのが砂利道を走っているときに「この道もアスファルトだったんだよ。」と。
アスファルトが剥ぎ取られてしまう力ってどういうこと!?
市内を過ぎ、山を越えたくさんのところを案内していただいた。
色んな話を聞いたせいか1週間くらいは寝付けなかった。
 
5日間のお休みがあけて私の配属が決まった。マッチング班。
地元の方たちの要望を聞いて、現場を確認しボランティアが来た際のトイレや
駐車場の確認、そして現場への道順とポイントをチェック。
朝はボランティアに内容と場所の説明。
ポイントとなるものが無いところもあるので
「壊れた白い車がぽつんとあるところを曲がります」と説明したりする。
その後、現地へ行った後のボランティアからの電話や
新しい要望などの電話を受けたり、作業中の現場や新しい現場に確認へ行く。
ボランティアが帰ってくるのが3時ごろから。
今日の現場の作業はどこまですすんだか、足りない器具は無かったか、
依頼者さんが何か言っていなかったかなど聞く。これが大切。次の日の情報へとなる。
そしてボランティアさんが疲れきって、でもいい表情で帰ってくるのを
見るとありがたく、また、嬉しくなる。いつだったか学生たちが
「とてもいい方にマッチングしてもらいありがとうございました。」と頭を下げてきた。
涙が出そうになった。ここにこうしてこれて良かったなぁと思った。
でも、私ではなく、地元の方たち、そしてあなたたちがご縁で繋がって、
その感謝は地元の方たちとあなたたち自身にするべきだよ、と思う。
あなたたちがそうだったから地元の方たちもそう接した。
そういうことなんだと思う。
 
マラウイでもそうだったけど、人に何かするのは相手がそういう人だから
そうしたくなるわけで、だから「私ではなくあなたがあなた自身に感謝して」と言っていた。
まぁ、堂々巡りになるわけだけど・・・。嬉しい堂々巡りだ。
陸前高田の日々は、嬉し涙もなんとも言えない涙も流したけど
ほっこりあったかい時間を過ごした。
 
 
 
 
 
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2011/10/04 (Tue)
マラウイから帰国した翌朝、パソコンを開きメールをチェックすると
JOCA(海外青年協力協会:青年海外協力隊をサポートする組織)から
メールが届いていた。
 
震災があって2週間後に日本を去った私は、
テレビで石巻の赤十字の方が「全国の薬剤師さん、来てください!」
と言っていたことが、あの何日間で目にしたテレビに映る映像が
忘れられなかった。
 
高校の頃の阪神淡路大震災。何も出来ないなと思っていた。
新潟中越地震のときは転職中だったけど自己完結出来る自信がなくて
行けなかった。そして今回。
勤めていた病院グループから薬剤師が派遣されていた。
自分はどこにも所属が無い。
JICAから3月13日の電話で確認されたときに断ることも可能だったが、
結局、惨状に耐えられる自信もなくマラウイ行きとなった。
 
だからずーっと引きずっていた。そんな中、月1回隊員に配布される冊子の
6月号にJOCAを通しての被災地での活動が紹介されていて
登録先も書いてありすぐに登録した。
すると時々、要請のメールが送られてきたがそれも8月には無くなり、
もう要請もなくなっているのだなと思っていた。
 
それが帰国翌日、届いた!出来そうな案件に応募。
や~ご縁だ、ご縁だと思っていた。
するとすぐに返信が。「少し前に決まってしまいました。」と。
そっか・・・。残念。そうして過ごしていると、お昼頃携帯が鳴る。
JOCAからで「今朝陸前高田からボランティアセンターの運営という
要請が来ました。運転は出来ますか?」と。
え~!!ペーパー!!でも現地は人手不足だという。
1日考え、渋滞を作ってしまうほどゆっくり運転してよければと
行くことにした。これもご縁だ。
 
8月31日。帰国して1週間後、岩手県の陸前高田に行くこととなった。
陸前高田は名前だけは覚えていて、私は果たして正常な精神で
きちんと活動をできるんだろか?という思いもありながら向かった。
 
JOCAの基地は遠野市にある。
3月から公民館で寝泊りして他のボランティアさんたちと生活していたらしい。
私が到着した日にJOCAが借りた民家に引越しで、汗だくで公民館の掃除などを手伝った。
そこで15人ほどの共同生活。それぞれが遠野、釜石、陸前高田で活動する。
集まるメンバーは元青年海外協力隊員。
このため「どこ行ってたんですか?どんな現地語?」など自然と話がはずむ。
中には10年以上前に行かれた方もいて、この繋がりにすごいなぁと思った。
 
私を駅まで迎えに来てくれた調整員が乗っていたワゴンは青くデカデカと
青年海外協力協会と書いてあって「派手ですね・・・。」とひいた。
彼は3月25日に被災地入りしたそうだ。
すると県外のナンバーのためガソリンを入れてくれなかったそうだ。
そこでレンタカーを借りたが今度は災害緊急車両扱いされず
やはりガソリンをもらえない。
ボランティアを送るための車なのにガソリンをもらえず苦労したそうだ。
だからこの車がどんなに嬉しかったか、と話してくれた。
車に名前があることは必要なんだなと初めて知った。
今度は海外青年協力隊が知られておらず、怪しまれた。
でも根気よく、そして通い続けることで信頼を獲得して
そのお陰で今の私たちの活動がある。本当に頭が下がる。
1人で開拓していった。すごいなぁ。本当にすごい。
そしてこの後、すごいなぁを思う日々が始まる。
2011/10/03 (Mon)
前にもブログで載せているが栄養士のあっきーの活動に載せてもらい
ヘルスセンターのスタッフに対してのHIV薬物療法の説明と、
病院の中での患者に対する薬物療法の説明を行っていた。
私はHIVについての知識がなく最初は調べ、模造紙に絵を描き、
患者にもわかるようにトゥンブカ語で書いたものを作った。
講義内容を作るためパソコンにばかり向かっていて「りえは働いてるの?」
と言われたりしながらもっと薬局にいるべきなのかも、と自問自答しながらも、
現地語がわからないのでスタッフに「免疫ってトゥンブカ語で書いて!」と
教えてもらいながらなんとか完成。
5月下旬から患者と村のヘルスセンタースタッフ向けに講義を始めた。
3ヶ月で8箇所のヘルスセンターに行くことが出来た。
青空の木の下で講義をすることもあったし、エイズ隊員がいる村にも行き、
大勢の村の人の前で話すこともあった。
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講義の評判は良かったし、要望も多かった。
患者は「薬を飲んでから目が見えなくなった気がするけどそれは副作用?」とか
「彼もHIV+で子供が欲しいけどどうしたらいい?」
「ご飯が食べれなかったら薬はどうすればいい?」
など本当に日本でも聞かれるような内容の疑問をたくさん持っていた。
私の講義内容は、みんなが測っているCD4とHIVの関係から説明し、
なぜ薬を飲み続けたほうがいいのか?
副作用があったらどうしたらいいのか?
最後は「マンファーラ パフーピパフーピ(規則正しく薬を飲みましょう)
ユオアヤーニ ブネネーシヨ(正直に言いましょう)。」で終わる。
これだけはトゥンブカ語で最後に言う。するとワハハハ・・・と笑ってくれる。
「マプリキーシャ(わかった)?」と言うと「エエ(はい)」とみんな。
 
講義を村で続けていくうちに、「母子感染の薬物療法もやってほしい」と言われて
作ってみたり「今日の講義の説明文をコピーしてくれ」と言われ
次からは配布するようにしたり村のスタッフたちは本当に熱心だった。
「薬を飲むとブツブツがある子供が生まれるのは本当か?」とか
「抗HIV薬が有料になると聞いたけど村レベルではとても買えない。
今から何かやれることはないか?どうしたらいいか?」などなど
村という何もないところで対患者に接する彼らからは多くの質問を受けた。
 
そうそう、いくら村で広げても新たにスタッフが増えていくので
そこで知識を入れないと!と、新スタッフへのトレーニングが開催されている
ことを知り、トレーニングの一部に講義を入れてもらうようにして8月には
新スタッフ(彼らは村で働く)に対して講義を行った。
すると「HIVの薬を見てみたい!」と。
確かに!そこで、ドクターが管理している抗HIV薬を拝借してみんなに見せた。
私も初。「普通の錠剤だね~。1錠で3種類が混ざっているんだよ!」と説明。
ヘルスセンターでもHIVの薬を出していいところと出してはいけないところが
決まっている。これは処方医がトレーニングを受けなくてはならなかったり
抗HIVは厳密に管理されるため、それに見合う施設なり人員が必要なため。
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抗HIV薬をおけるヘルスセンターを増やしていこうとしているが、
一方で開設したものの予想よりHIV感染者が少なかったり、
小児と大人の人口比が異なり薬が余っていて期限切れになってしまって
いるケースもあった。開設した後に、フォローをできなければこうなってしまう。
フォローしたくてもガソリンがないのかもしれない。
交通手段が無いのかもしれない。難しいな。
 
私がいる間だけでも少しは知識が広まればいいなと思った。
もちろん、ガイドライン含め医療は変わっていくからということを伝えたが
電気の無い、電波の届かない彼らがその変化についていくことは難しい。
だからこそ、こういった村レベルに入っていくことは意義があると思う。
では、ヘルスセンターに所属すべきか?というと違うと思う。
県病院に所属しているからこそ、各ヘルスセンターに行くことができ、
救急車という交通も利用できるのである。
ヘルスセンターの多くは救急車が無い。急患が出たときは県病院からの救急車を待つ。
 
とにもかくにも、私の活動は6月からルーチンとなった。
これはとても早いと言われる。でもこれも、先にいたアドミニのまささん、
栄養士のあっきーの活動を利用させてもらったのと、
そこを使おうという私の図々しさのお陰。
 
月曜・水曜はヘルスセンターに行ける時は行って講義。行って帰って1日がかり。
火曜・木曜の午前中は院内で対患者にHIV薬物療法講義(途中から1日2回することも)。
水曜・金曜は5S巡回。隔週水曜午後は5S会議。
月1回糖尿病教室のお手伝い。
残りは朝2時間ほどはパッキング、その他は薬局の整理整頓、病棟薬剤チェック、
5S活動+α部分をやって過ごした。
 
5ヶ月。あっという間。ムジンバの子供たちへの草の根教育、病院スタッフへの草の根教育、
そして本来の活動。
役にたてたかはわからないけど、自分にとっても、ある一部のマラウイアンにとっても
濃い時間だったことは確か。
短期のわりに旅行もたくさん行けたし、現地の人たちとの交流も多く出来たと思う。
同じ病院に私よりも長くいる隊員が誘われてないのに、私だけランチに家に招いてくれたり。
人徳かな(笑)。ま、続くものなのかどうなのかそんなのはどうでもよくて。
他の隊員から「1年以上いるよね?」と言われる。自分でもそんな感覚。
職場も家の周りの子供たちとも長い間一緒にいる気がする。
しかしながら、この5ヶ月、今は全く行った実感が無い。
びっくりするくらい、行ったけ?って感じ。
でも写真や動画を見るとほっこりする。私、やっぱり行ってたんだね。
また、マラウイに行けますように。
 
Malawi Yewo Chomene !!
2011/10/01 (Sat)

マラウイを去って1ヶ月。
すっかり頭は日本になっているけど、マラウイでの日々は夢のようだけど
でもまだブログは終わらない。
 
私が薬剤師として5ヶ月間派遣されてやったこと。
実質的には首都に前後合わせて2週間はいたので4ヶ月ちょいの活動。
 
私は短期派遣のため現地語研修がなく1週間でムジンバへ行った。
最初の2週間は「何やればいい?」と聞いて、薬のパッキング(前回のブログ参照)、
県病院の傘下である約30あるヘルスセンター(村のクリニック)から紙ベースでくる発注を
コンピューターに入力。1ヶ月に1度まとめて県病院が卸へ発注する。
これもUSBを2時間かけて卸に持って行くこともあった。
途中からメールで送るようになり、私が帰国する直前に国が予算を組んで各県病院の薬局に
コンピュータを配置させ卸と結ぶようになったため、少しは改善。
もちろん村のヘルスセンターには電気もないところもあって、ゆえに月1回の
ヘルスセンターからの発注はやっぱり県病院が手入力しなくてはならない。
 
そんな日々が続き、「これ、私じゃなくていいよね?」ということで話し合い、とはいえ、
人手もないので「朝の何時間かはパッキングをやります。でもそれ以外は他の作業をします。」
で合意した。薬局長とは合意。
でも他のスタッフからは「なんで手伝ってくれない?前任者はやってくれてた。」と。
これを短期を理由に「私は短期でこのあと後任が入るかもわからないからマンパワーで入っても
いずれなくなるなら今入ることは意味が無い」と言って薬局を抜け出していた。
 
ムジンバ県病院にはアドミニストレーターとして隊員が入っており5S(整理・整頓など)活動を
行っていた。全体に関われるし、すぐに5Sの一員に入れてもらうよう頼み4月下旬から会議に参加。
5Sに付随して、週2回持ち場を巡回するという活動ができた。
私はいずれいなくなるので、マラウイアンのアドミニストレーターと共に巡回した。
「ここにラベルを。ここを分類して。」など提案し、次の巡回までにやってもらう。
巡回したときにある棚に"death"の文字。いらない書類なのね・・・。じゃ、捨てようよ。
巡回である程度は進むけど、ラベリングを行ったあとはなかなか目に見える効果は出なかった。
しかしながら、あらゆる職種と交流を持つことが出来て多くのオフィサーと仲良くなった。
6月に入ると、中心となっていた看護師が研修のため2ヶ月首都へ行ってしまった。
会議の延期が続き、私でさえモチベーションが下がってしまった。
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JICAが入る組織は公的組織が多い。長い研修、中学校や高校を出ていない人が午後に
学校に行く、それが公的機関の下だと容易に許される。
新しい知識、必要な教育は大切。でもそれで人手不足、リーダー不足が出来てしまっている
ことはどうなのか?それで「人手が足りない」と言われる。
それを埋めるための隊員になってしまっていることも多々ある。
 
私は薬は病院のいたるところにあり、5Sのメインメンバーとして薬局スタッフが入ってないのは
どうかと思い、6月の会議で提案しようと思っていた。
しかし延期、また延期・・・。結局、テクニシャンを入れたいと会議で提案できたのが7月上旬。
そして、その提案が通り次回から参加となったわけだが結局また延期で彼が参加出来たのは
8月上旬だった。中旬には任地を去る。
結果を見れずに去るのは=結果は残らないになる。残念だ。
 
マラウイ人は写真にうつるのが大好き。というのも、プリントアウトをする場所が無いから
だと思う。カメラを持っている人も限られるし。そこで5Sニュースを作ることを考えた。
改善前後を写真で撮り、必ずそのスタッフの写真を入れる。
5月に私が作成。6月には中心スタッフが作成予定だった。が、研修へ行ってしまい会議も延期。
7月、待ってられん!とキッチンのオフィサーに声をかけ、写真から彼にとってもらい全て自分で
作ってもらった。ウキウキの彼は「カラープリントしたい」と。
「どこにお金があるの?カラーは街中でしかできないよ。1枚100kw(50円)。」
すると、他のメンバーが”It is not so expensive. Rie can pay for it.”と。
なんですと?
“No! I’m not money machine! Why only I have to pay? You can pay also.”と私。
キッチンオフィサーが「じゃ、20kw出す。」と。
私が「あなたは?」ともう1人のスタッフに言う。「じゃ、20kw。」
「私も20kw。残りはどうする?」たったか10円のこと。お金が惜しいのではない。
こうしてもう1人募り、1枚のみカラーコピーにしてそれは1番目立つ掲示板に貼ることとなった。
小さなことだけど、私は嬉しかった。最後の会議で継続を提案したけど、継続するといっていたけど
誰かが押さなければ続かない。でも、しょうがない。1回でも頑張ってくれただけで良し、かな。
彼とは、手洗い方法の掲示を各病棟の洗面台に貼ったりもした。
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薬局の書類の整理、ラベリング、病棟在庫チェック(やってみたものの、
在庫自体ないため過剰にはなりえなかった)、期限切れチェックなどもいる間だけになって
しまうけど行った。
 
前任者も行っていた3ヶ月に1度薬剤師に回ってくる糖尿病教室の講師。
前任者はマラウイアンではなく、自分で講義していた。
が、せめて3ヶ月に1度くらい、どうにか時間を設けて薬剤師らしいことをしてもらいたい
と行く前から思っていた私は6月に自分が講義を行いテクニシャンのモーゼスに現地語訳をしてもらった。
彼は人前で話すことが好きで、臨床が好きみたいでとても生き生きしていた。
最後には「この教室で処方薬がもらえれば待たなくて済むと思いませんか?」と提案し拍手喝采を
受けていた。まぁ、それは非現実的で後に彼が行動に移すことは無かったが・・・。

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とにかく、モチベーションが上がった。
「次回は講義内容から全て自分で作って、1人でやってね!」と言うと快諾。
8月12日、私が任地を去る日、2週間くらい前から「資料を作ってね!資料を私に見せて!」と
口でもメールでも催促して前日に目を通す。
当日、なんと私が首都に上がるための車のガソリンが手に入らない。
そんなんでバタバタ。1回目の10分程度の講義(私が帰るので早く切り上げたそうだ)は見れず、
その直後教室に行くと、診察室前にたくさんの患者が並んでいるからそっちでやったほうがいいかも、
とあっきー。
「よし、行こう、モーゼス!」とモーゼスを連れて行く。
たくさんの患者が列を作っている。車が出せず、公共のバスで首都へ向かうならもう時間が無い!
焦る私。「さ、モーゼス、講義をしよう!」
すると「ここじゃ、人が行き来するし出来ないよ。せめてあっちの場所に移動して・・・。」と言う。
「でもこの列を崩すことは難しくない?いつも私たちがHIVの講義やるときはこんな感じでやってるよ。
できるよ!は~い、皆さん聞いてください~!今から彼が糖尿病の講義します。」と私。
「でも、講義は座って聞いたほうが・・・」とモーゼス。
すかさず、“If you want, you should ask them by yourself!!”大きな声が響いた・・・。
あ~、最後の日に”should”言っちゃったなぁ。
5月ごろだろうか、何かとあれば”should”を言ってしまっていた自分に、あ~良くないなぁ。
押し付けてるだけだよなぁ。と思っていた。
薬局内で薬局長とはほとんど話さず、テクニシャンのモーゼスとよく言い合い、話し合いをしていた。
何度も、シーン・・・とさせてきた私。最後の最後でごめん。
モーゼスは静かな声で「ではこちらへ」的に言う。すると割と多くの患者が移動する。
そこで彼は話始める。質問も出る。ごめんね、モーゼス。でも生き生きしてて嬉しいわ。
時計を見ると10時半。11時のバスに乗らないと首都に着くのが遅くなる。
講義中のモーゼスに別れを告げ急いでタクシーで家に戻り、スーツケースなど詰め込みバス停へ。
P1120087.JPG







 
帰国日、飛行場からモーゼスに電話。ネットもあるしコンタクト取ろうね!とモーゼス。
帰国してすぐにメールもくれた。嫌われてもいいと思って、他の隊員に「そのキャラでいくの?」と
言われるくらいギャーギャー言ってた私は、結局これで良かったと思っている。
やっぱり、思ってることは言わなきゃね~。
日本だろうとマラウイだろうとそうやって過ごしているほうが気持ちいい。

こうして、ぎゃーぎゃー+ガハハハの活動は続いていった・・・。
 
2011/09/26 (Mon)
マラウイから帰国して1ヶ月。
帰国して1週間後には岩手の陸前高田に行き約3週間過ごした。なかなか濃い1ヶ月だった。
でも、まだマラウイ報告が終わっていないのでもう少しマラウイを続けさせてもらう。
 
さて、たびたびみんなから「家の写真を見せて~」と言われていて
トピックが無くなったときに・・・と思いながらあっという間に帰国してしまった。
ので、今更ながらマダムの豪邸をご覧あれ~!
 
近くの家はレンガで造られた家がほとんどの中、突然でっかい黒い門。
「チャントンバのでっかい家」というとみんなわかる。
門の前にいるのは大好きな警備員コスマス♪
P1100572.JPGP1100573.JPG








私の前任者は10ヶ月の短期派遣だった。
前任者は新規派遣だったので家を探さなくてはならなかった。
なかなか貸家がなく、前任者は何ヶ月かモーテルから通っていた。
本来、家は配属先が探す。
が、赤字の病院に払えるところは無く、結果この豪邸をJICAが借りることとなった。
 
前任者は短期のため、家具をほとんど買わなかった。
机2つ、椅子2つ、クッカーをのせる台くらいでベットは無し。
5ヶ月だから私も買わず。前任者が買わなかった冷蔵庫は買った。
日本円で2万円くらいかな。冷蔵庫はムジンバでは買えないと聞いていたので
迷ったけど(寒い季節になるから)、困ったら困る!と買った。
 
前任者と同じように庭に面した裏玄関をメイン玄関にした。
着任時、雨季の終わりだったため庭には前任者が植えた茄子、キャベツ、
春菊、ミニ白菜、菜っ葉がたわわになっていた。
茄子が終わった後にルッコラの種を撒き、後半は出来たルッコラ、トマト、
刻んだたまねぎ、アボガドでサラダを楽しんだ。
葉物は人気終了までずっと食べることが出来て感謝感謝だった。
P1080788.JPGP1080793.JPG 








庭の奥に見える小さな建物はボットン便所。警備員用だったけど8月に断水が4日くらい
続いたときには使用した。でもこれが綺麗なの!コスマスが毎日掃除していたからね♪
このお庭でコスマスやブランタイヤに行ったジョセフィとよく話したなぁ。
近所の子供たちも入ってきて写真とって終わったら何か言ってて、
警備員に通訳してもらったら「私たちを門から出してください」と言ってて爆笑したなぁ。
写真につられて入ってきたものの、奥に入りすぎて不安になった子供たち。ちょ~かわいい☆
P1100041.JPGP1100043.JPG








玄関から入るとすぐにキッチン。右に曲がると冷蔵庫と机があって
朝ごはんを食べていた部屋になる。(画素数が大きくて表示できず!)
そこの窓からは庭が見えて毎朝コスマスがシャッシャッとお庭を掃いていたっけ。
その部屋の奥は巨大なスペース。長期ならここに長机とソファを置いて
ちょ~リラックスなんだけどなぁ、という部屋。
P1100568.JPGP1100570.JPG640d2dad.JPG







 


キッチンに戻ってまっすぐ行くと廊下。使っていない部屋が2部屋。
1番奥が寝室。蚊帳は前任者のもの。ベットも作らずマットレスを重ねて寝ていた。
そうそう、いつだったか体調が悪く寝ていると夜中に窓をたたく音が・・・。
「うるさい!もう!!」と思い起きると、なんとマットレスの半分くらいまで水に浸っている!!
ぎゃ~!と起きる。ドアの向こうから水が来ている。
この日は断水で、いつか戻ってくるかなと洗面所の蛇口を開いたままにしていたのだった。
しかもマックス開いて、その下に洗面器。勢いのいい水が洗面器にはねて風呂場全体が3センチ
くらいの水浸し。その水はキッチンを抜け玄関へ。
一方、寝室へと来ていたのだった。夜中2時から警備員2人と
3人で4時過ぎまでかかって片付けた。
それから何日かは警備員に「マダム、蛇口は大丈夫?」と寝る前に念押しされたっけ。
 
キッチンを出てすぐ左がトイレ+お風呂場。
バスタブがある家は珍しい。2つ蛇口があるけどお湯は出ない。
お風呂は電気ポット1.7ℓ×4回+小鍋4杯のお湯にお水を入れて
たらいにいい感じのお湯を作る。そこから洗面器でかけていく。
坊主は楽だったな。とはいえ、7月は豪邸のため空間が広く寒かった。
寒すぎる日は入らなかった。
 
任地を去る3日くらい前。よし、いい湯加減。入るぞ!と脱いだところで
停電!!「わ~!!」と外でいつものように子供の歓声。
いつまで続くかわからないし、お湯をまた沸かすのももったいないし
面倒くさい。に、やることないし。ということで3本のろうそくを
バスタブにいい感じに配置しムーディーなお風呂を楽しんだ。
「あ~、マラウイなんだなぁ」と思いながら。
そしたら割とすぐに電気が復活。外の子供たちが「わ~!!」と歓声。
自分の家には電気が無いけどマーケットとか一部の家にあるから停電がわかる。
停電になっても復活してもどっちも「わ~!!」と喜ぶ。
 
朝はGo!Go!Go!のゴロに合わせて5:55に起きていた私。にわ鶏と子供たちの元気な声。
7時に家を出て8時半から16時半まで病院。
18時にはご飯を食べ、お湯を沸かすのに30分くらいかかりお風呂に入り
22時ごろには寝ていた。そんな時間でもまだまだ子供たちは騒いでいた。
最初の方のブログにも書いているけど「元気だなぁ」と思う日々。
最初の印象と変わることなく「貧しいけど平和、貧しいけど幸せ」。それが私のマラウイ。
病院までは15分ほど歩いていたけどそれがまた良かった。
目の前のマーケットで1山5円のパンをいつもの少年から買っていた。
唯一覚えたトゥンブカ語の数字「アウィーリ(2)」と言っていつも2個買っていた。
うちに椅子が2脚しかないため、3人以上がうちに集まると隣の人に椅子を借りていた。
P1120082.JPG








私の後任は暫く来ない。マダムの豪邸は、新しく来た医局長が住むことになった。
マラウイで一番大好きなチャントンバ。一生忘れない。
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