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元気なうちにやりたかったことをやろう!そんな思いで2011年3月より8月までマラウイで薬剤師として派遣されるマラリエ生活を綴った日記です。
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2024/05/05 (Sun)
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2015/03/11 (Wed)

2011年は私の人生の中で大切な年。
東日本大震災のあと、マラウイに旅立ち、帰国後岩手、その後は東京で避難者の方たちと関わった。あれから4年。

2014年も私の人生の中で大切な年だった。

私は小さいころから「死」の後を考えると怖くてたまらなかった。
今、こうやって考えている思考は、これが消えるってどういうこと?
考えると寝れなくなった。

薬剤師として病院で働き、「死」について「残された時間」について考える。
そこから「自分」の「残された時間」を考えて2011年に繋がった。
http://malarie.fukuwarai.net/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%A8%E8%AA%95%E7%94%9F

2013年12月に私は2歳の女の子と出会う。
彼女のママは出産時に亡くなっている。
彼女を通じて、そして2014年から移動で配属になった小児科病棟で出会う子供たち、親友たちの出産ラッシュ、講演会で聞いた助産師さんのお話、自分の年齢、この1年これでもかというくらい目の前に「生」がどんどん出てきた。
「血の繋がり」「親子」「生」について考えさせられた。
考えすぎて体が動かなくなった。
頭だけは動いてぐるぐる考えて、考えを止めるために、もうこの世界やめたい!なんて思ってしまったりした。
誤魔化すために本を読み始めた。
そんな中、以前から興味のあった心理に足を踏み入れる。

私が出会ったのは「今ある葛藤は、小さいころの消化できていない親子関係などから来る感情」というところを基本にしているもので、腑に落ちた。
そこから自分、そして自分と両親の関係に向き合い始めた。
  
やっと1年たって、グルグルしながら気が付きながら、また戻りながら今、心に根付き始めたことを記す。
自分が生きてきた考えてきたことを違う視点で捉え始めた。
 
死は悲しいこと。でも悪いことではない。
悪くしてしまったら、亡くなった人も生き残った人もどちらも辛い。
どちらも悪くない。 悲しい。辛い。でも悪くない。
死を否定することは生を否定すること。


過去の出来なかった後悔、助けられなかった罪悪感に生きない。
未来の不安に生きない。
その中に生きるということは「今」を生きているのに、「過去」や「未来」に生きていること。
「今」なんだから、「今」を生きる。

「自分」を生きる。
子供、親、他人のために生きない。
亡き人のために生きない。
「~のために」生きるなんて、自分の人生じゃない。
「あなたのために」は余計なお節介。
自分以外の人は、自分が笑って幸せでいることが嬉しい。
大切な人は大切な人が笑って幸せでいることが嬉しい。
 
ママを覚えていない女の子、奥さんを亡くしたパパ、障害を持って生まれた子、障害がなくても親に育児能力がなく乳児院の空きを病院で待っている子、親を知らず施設で育った子、発達障害だと診断された子、何かしら悩んでいる子、何かしら悩んでいる大人、私。
 「かわいそう」なんだろうか。
同じ障害を抱えていて反応がない子供も、家族が笑顔でいるとその子も幸せに見える。
「かわいそう」なのは「不幸」なのは、そう周りが思うだけ。
そう自分が思っているだけ。
「幸せ」と思うのも自分が思うだけ。
 
短い人生だろうが、長い人生だろうが、その1部分だけ切り取らない。
1部分だけを切り取ってみると「不幸」だったり「辛い」と感じるけれど、人生まだ途中。
1部分だけ切り取って人生終わろうとしない。人生終わったと感じない。
人生は続いている。人生諦めない。

人の心はわからない。わかろうとしない。
http://malarie.fukuwarai.net/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E6%99%82%E9%96%93
 
抗がん剤治療をしている患者さんが言った。「私は人生諦めない」
そのとき、私は自分で自分の人生が途中であるのに切り取っていたことに気が付いた。

秋に参加した講演会で、助産師さんの話を聞いた。
助産院では医療行為であるため会陰切開を行わない。
自然な出産では、赤ちゃんは一度頭をだし、そして引っ込むそうだ。
そうして出口を一度広げて、次の陣痛のタイミングで生まれてくるのだそうだ。
赤ちゃんは出やすい方法を、自分のタイミングを知っている。
 
こうして生まれてきた 私たちは、きっと案外知ってる。
 私、このままじゃ生きていけない。そう思ったけど、生きてる。
案外強い。「勝手に」弱いふりしてた。
でもそんなときもあってもいい。

完璧にならなくていい。

私、何を完璧になることを頑張っていたんだろう。

亡き人と共にいれないことは残念。
亡き人との別れの悲しみは消えることはない。我慢することもない。
たくさんたくさん悲しんで、叫んで、声に出して天に届けよう。
言葉にすることは大切。聴覚を通じることで無意識にも届くから。

たくさんたくさん、考えてグルグルして、その結果、思った。
「考えなくていい」「答えはなくていい」
創業スクールで、ある社長さんが言った。
「答えのない問いと共に生きる」
人生も、そうなんだな、きっと。

悩みは無くならない。悩みを楽しむ。そのくらいで生きる。
 
東日本大震災後の陸前高田は街がなくなってしまっていたけど見えない温かい心が集まっていた。
目に見えない女の子のママ。
目に見えないものが大切なことを私に教えてくれた。

前回の投稿で私はこんなことを書いている。
「個人の記憶や想いは、何においても、他人がコントロール出来るものではなく、ましてや、自分でさえコントロール出来ない。忘れまいとしても忘れてしまうし、忘れようとしても忘れられない。記憶や感情が自分でコントロールできればどんなに楽か。だから、強制してもしょうがなくて、しょうがないな、と思えればいいなと思う。」
 
 

 グルグルからどうやっても抜け出せない時がある。
人から見ればちっぽけなこと。
どんなに人に何を言われても、どこへ行っても自分でどうしようもないくらい抜け出せない。
時間だけ過ぎて、街は、社会は、みんなは進んでいっていて、自分だけ取り残された感覚。
それでもどうにもならない自分。
なのに、1年半前の私はとっくに答えを書いていた。
「しょうがないな」と思えば良かったんだね。

かかる時間はひとそれぞれ。落ち込むこともグルグルすることも悪くない。
全ては悪くない。

答えは全て自分の中にある。

こうやって、何度も同じ問題に時々ぶち当たっていることも気が付いた。
何度もぶち当たってもいい。もしかしたら、その方が人生っぽい。
「またやっちゃった。しょうがないな。」そう思えればいい。
 「おっとっと。今を生きなきゃ。」と気が付けばいい。

2011年は「残りの人生」を考えて「今」を考えた。
2014年を経て、2015年は「生まれた」ことから「今」を考えた。
似ているようで違う。
どっちでもいい。
でも、気が付けてよかった。
たくさんの人とのご縁、見えない心とのご縁が教えてくれた。

結局、考えるのが大好きで真面目すぎて、それが私なんだな。
考えて考えて、以前の私に戻るだけ。
少し視点が増えた自分に戻った。

 さぁ、「自分」を「今」を生きよう。
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