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元気なうちにやりたかったことをやろう!そんな思いで2011年3月より8月までマラウイで薬剤師として派遣されるマラリエ生活を綴った日記です。
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2024/09/21 (Sat)
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2011/04/21 (Thu)

勤務4日目。

いつもどおりに朝の仕事をしていると、不足している薬を
ムズズに取りにいくと。
ガソリン不足で今日は無理かもと言われていたが整ったようだ。
ムズズはムジンバから更に車で2時間くらい行った所にある。
後に登場するムズズの卸でボランティアをしているさとみんによると、
マラウイでは国が手に入れた薬を「人口比」で北・中央・南と分配している。
このため、必要な薬が必要な地域にさらに届かないという
これまたびっくりなことになっているそうだ。
 
さて、日本から来た尼さんに興味深々のモーゼスは尼さんとのプチ旅行に
浮かれている。
小雨の降る中、北海道ドライブのように一本道をひた走る。
マラウイを南から北に走る国道1号線。
ほぼ信号のない片道一車線のアスファルトで出来た道。
途中、「乗せてくれ~」という人を何人か乗せながらムズズへ向かう。
何せ北海道な感じなので急な登り坂もある。
そしてなんとなく、猛スピードで走っていた車が歩行速度になっていく。
「ブルルン…」何度かエンジンをかけなおしては進んだ。
大丈夫かなぁ…。そう思っていた。
 
ムズズ到着は午後1時。卸は2時まで休憩だしランチへ行こう!
ということで、ドライバーのポーと別れモーゼスのお勧めのお店へ。
P1080658.JPG









これで350KW(180円くらい)。やっぱり首都に比べると安いなぁ。
ご飯には色が付いてるしちょっと豪華な感じじゃない!?
味もとってもおいしかった。よくやった、モーゼス!
 
ということで、浮かれているモーゼスにランチをご馳走になり
モーゼスの買い物に付き合うことに。
ムズズはマラウイ4番目に大きい都市。
といっても、スーパーが何種類かあってマーケットの規模が大きくて
ピザが食べれるくらいの感じ。
ここでモーゼスは2000kwもするズボンや靴、ベルト、香水を買った。
彼の父は警察官だったというしお金持ちなんだろうな。
私でさえ、今は2000kwは悩むのに。
 
ということで、ルンルンのモーゼスとの買い物を終えて
卸に行き、さとみんに会い卸やマラウイ事情などを聞く。
卸の倉庫には期限切れになってしまうだろう薬品がダンボールで何箱もあった。
ダンボールはどれもやわやわなので薬品が外に出てしまっているものもあった。
さとみんによると輸液内にカビが生えているものもあるという。
恐ろしい…。
P1080659.JPG
P1080660.JPG






 
 
さて、さとみんとお別れして、たくさんの薬を積んだ車が
街を間もなく出るぞというあたりでどうも車の調子が悪い。
何度か持ち直すものの、ついに道路の脇へ。
完全に止まってしまった。
 
さとみん宅は大きいので「いつでも泊まりに来てくださいね!」と
何時間か前に言われ別れたのだが、それが今日になるとは…。
さとみんに電話をして私はさとみん宅へ。最初はモーゼスに
「関連施設の人に連絡が取れて迎えに来てくれるから一緒に待ってよう」
といわれ待っていたがやっと来たのが1~2時間後。
P1080661.JPG




 


 
でも「職員を送ってからまた来る」と行ってしまい、
あ~これは夜中になるなと真っ暗な中待っていると
卸のボスがたまたま通りかかり私をさとみん宅へと
送ってくれた。
 
さとみん宅は大豪邸で日本のルーを使ったカレーを用意して待っていてくれた。
家具もたくさんあって、かわいくて快適。
どうやら前任者がお嬢様でたくさん家具を仕立てたそうだ。
私の家は広いのに家具が少ししかなくて、作ってもいいけど5ヶ月だしなぁと作らない。
さとみん宅のようにソファも背の低い机もないのでダラっと出来ない。
角ばった机と椅子が2つずつと、ベットもなくマットだけで寝ている。
なんだか妙に羨ましかった。
 
今宵はおいしいご飯に同じ薬剤師としてこの現状にどう対処していくか
などなど話しまくって、快適なベッドで就寝。
 
翌日も午前中は一緒に卸に行ってまた色々話して
ボスに日本に行った時の写真を見せてもらったりしながら過ごした。
 
モーゼスに電話をすると「11時にはいけるから」と。
さとみんの「いつになるかわからないから昼過ぎたら帰ったほうがいいですよ」
との提案どおり11時に来ることはなくお昼を過ぎ、さとみんとムジンバでは
お目にかかれないピザを食べてモーゼスに「私、バスで先に帰ります」
宣言をしたら「もう出る」と。
モーゼスの言葉を信じ、バス乗り場で待つと現れた。いい子だ。
 
初めてのムズズはハプニングもありちょっとした旅行気分で過ごせた。
初対面のさとみんともたくさん話せたし、「協力して何か改善しようね!」
と誓った。
こうして金曜日の夕方にムジンバに到着して私の最初の1週間が終わった。
 
マラウイにはたくさんの隊員たちがいるのでとても助けられる。
このコネクションをいい感じに活用して何かを動かせたらいいなぁ。
 
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2011/04/20 (Wed)
やっと病院がネットの未払いを払ったらしく1週間ぶりにネットが繋がった。
ワードで作成しておいたものをアップしていこうと思う。
画像も尼さんは約30分かかってアップできた。疲れる~。
 
さて、勤務2日目。
朝の作業を手伝っていると何やら美しい歌声と共に
20人位の人たちが薬局前を通っていく。
昼休みが終わり、鍵がかかっているため入れず
時間通りに来ない同僚を薬局の前で待つ。
初日のランチタイムに敷地内でぶらぶらしているときに話をした
元気いっぱいのセキュリティのオリーブも薬局前にいた。
すると同じ制服を着た人たちがぞろぞろ通っていった。
オリーブに聞くとお葬式などで歌うための人たちだそうだ。
聖歌隊ってことかな。
 
そして午後の作業を行っていると今度はとても悲しげな歌が聞こえてきた。
これは…と思い窓口に行くとトタンで作られたような赤く十字の印がついた
白い棺が始めに通り、次に家族と思われる人が感情あらわに泣き叫びながら通る。
そしてその後をぞろぞろ暗い歌をハーモニーを奏でながら過ぎていく人々。
最後のほうには頭の上にマットレスやその人の荷物を載せた人たち。
オリーブがクチパクで「funeral」と。
 
同じ病院で働く先輩隊員いわく、外の霊安所からトラックで親族と共に
送られるそうだがその時もトラックの荷台にいる親族が歌っているという。
ちなみに同僚のモーゼスによると土葬だそうだ。
「なんで焼くの?」と聞かれたので「なんで焼かないの?」と聞いた。
JICAの研修ではキリスト教では復活を信じているから土葬であると。
じゃ、なんで日本は焼くのか?モーゼスも私も答えることが出来ず。
それが慣習だからなんだろうな。
 
翌日の朝には明るいハーモニーが病棟から聞こえ、
同僚のモーゼスに聞くと「赤ちゃんが生まれたんだよ。」と。
これが当たり前らしい。
きっとマラウイの約70%を占めるキリスト教が強く影響しているのだろうけれど
歌はなんだか気持ちを強める気がする。
 
先週、帰宅のため薬局を出ると我が家のウォッチマンのジョセフィ
 
(私は彼の話し方・誠実さからマイケルだと思っている)とばったり会う。
「どうしたの?」と聞くと
「教会のメンバーが昨日手術をしてそのお見舞いでみんなで祈り歌うんだ」と。
「行ってもいいい?」と聞くと「もちろん!」と。
教会の人たち40人くらいに混じって病棟へ。
チトゥンブカなのでよくわからないけど、他の患者さんに挨拶をして
祈り、歌い、そしてまた祈り歌う。
病棟に流れるハーモニー。何よりもスピリチュアルペインに効きそうだ。
 
そしてその後、病院近くに住むアダムさんの家にも行って祈り、歌った。
ちなみにアダムさん宅の犬は私を追いかけてきた犬の一匹だ。
ただそこにいただけの私にアダムさんは感謝してくれた。
 
歌うこと、祈ること。バスケットでも仕事でも何でもいい。
人が同じ時間を同じことをして神経を集中するとき、何かが強まる気がする。
 
2011/04/16 (Sat)

あれは出勤二日目のことだった。
少し覚え始めた通勤路で帰ろうと病院の敷地から家の間を通ろうとした。
あ、間違えた、と思い、戻って少し先の家の間を入ろうとする。
左の家はわりと近くに耳がだらんとした犬が1匹。
少し離れた右の家にも犬がいた。
 
あ~怖いなぁ…。噛み付いてきたりして…。
と思いながらも道がわからないので行くしかない!
私はあなたたち犬にはちっとも興味ありませんという感じで
目もくれず歩いていた。
すると右奥から「ウ~…」そして「ワンワンワン!!!」という声とともに
走ってくる犬が!そしてそれにつられて左の犬も向かってくる!!!
 
「ぎゃ~!!!ぎゃ~!!!ぎゃ~!!!」と叫びながら後ろに犬の気配を感じながら
「噛まれる!!!」と思いながらダッシュ。
無事、病院の敷地にたどり着くと(10mくらいのもんだけど)、
先ほど挨拶したかわいいおじいさんが「どうしたんだ?」と。
「犬が、犬が…」
「どこへ行きたいんだ?」
ここで私は自分の住所を知らないことに気が付く。
そして「あっちのほう」と指をさす。
「どこで働いているんだ?」
「病院の薬局。」
「じゃ、トモ(前任者)と同じ家か?」
「そう!」
ということでおじいさんが途中まで道を案内してくれて
無事家にたどり着くことが出来た。
 
 
翌日、それでも例の犬を遠巻きに通らずには帰れないので
その道を行こうとした。
すると私を覚えているのか犬たちがこっちを見ている。
「なんだか嫌だな~」と思っていたらやっぱり
「ワンワンワン!!!」と走ってくる。
「あ~ん、怖い~!」ということで現地の人は大丈夫と思っているので
とっさに近くにいた小学生1年生くらいの女の子を楯にしてしまう32歳。
 
すると女の子は「あっちへ行け!来るな!」みたいなことを
たぶん言っている。とても頼りになる。
まもなく犬たちは止まり、去っていった。
そのあと、一人では怖くてその子に
「イエウォ チョメーネ(Thank you very much)」と言いつつ
「チャントンバ」と私の住んでいる地名を連呼し、
一緒に行ってくれよぉと催促した。
頼りになる彼女は私を途中まで連れて行き行くべき道を指差した。
 
この出来事から今でも犬が怖い。
以前、親友のMちゃんがロシアで犬に噛まれて以来犬が怖いと
いっていたのを笑っていたが今ではその気持ちが十二分にわかる。
 
翌朝、道行く先生をしているという人が病院に見舞いに行くというので
病院まで「私、犬に追いかけられまして、犬が怖いのですよ。」
なんて話しながら通勤。すると途中で違う道に行く。
これはこれは…とついていくと少し遠回りだけどなんと犬がいない!
素晴らしい!ということで、それでも他の道には犬がいるので
どきどきしているけど、あの私を追いかけてきた犬たちからは解放されて
毎日通勤する私であ~る。
2011/04/16 (Sat)

リロングウェを3日に去ってから2週間がたった。
やっと1週間たったところでムジンバでのネットの使用法を聞いて
つなげてみるもののどうにも繋がらない。
繋がってもブログの管理画面にアクセスできず、翌日からはなんと
ネット使用量の未払いで回線が止められているという。
あ~マラウイ。ということで街のネットカフェに来た。
とはいえ、この回線では画像添付は無理と考えて
とりあえず文章だけでいってみようと思う。
(マラウイ外務省訪問のために24日から首都に戻るので
    そうしたら画像をアップしまくる予定。)
 
最初の1週間、マラウイらしさを感じられる1週間でとても楽しかったし怖かった。
それは後に語るとして、まずはムジンバへ行く前夜、5ヶ月しかない私は頭を丸めた。
P1080636.JPG
P1080637.JPG







今回は同期にやってもらって尼さん完成。
P1080638.JPG





 
 
翌日、調整員(ボランティアのサポートをしている)が迎えに来て「あらあら…」と。
他の調整員には「マラウイでは女の坊主は貧しいとか子供がやる(学校では坊主にしなくては
いけないから)ものだからなめられちゃうからやめた方がいいですよ」
と言われていたが坊主に出来るのはそうそうない、出来るときにやる!なのだ。
 
みんなに見送られ45000クワチャ(23000円くらい)で買った単身用冷蔵庫と共に
一人任地へ旅立った。電化製品は全て南アフリカからの輸入らしく高い!
1週間しか一緒じゃなかったけど仲良くしてくれたマラウイ長期隊。
ジコモクウァンビリ!
P1080639.JPG







 
さて、ムジンバへの道のりはお迎えの車で快適。
雨季の終わりであるこの季節のマラウイはまるで初夏の北海道を思わせる。
気持ちいい。
P1080640.JPG






 
4時間ほどでムジンバに到着。
いわゆるレンガ作りだったり、わら葺屋根が並ぶ住宅街を入り、
どんな家かどきどきしていると大きな門構えのコンクリート製の家が見えた。
敷地に入ると庭には前任者の育てた茄子・白菜・春菊・キャベツなどが
ほどよく育っている。
 
家にはあまり家具がなく、大きなスペースの中にポツンといる感じ。
目の前は小さなマーケットが並び朝から晩までワイワイ声が聞こえる。
犬の遠吠えもにわとりの鳴き声も激しく聞こえる。
みんな元気だなぁ。と毎日つくづく思う。
 
いたって平和な心地よい感じ。
それが初めの感想であり、今のところも変わっていない。
1週間で挨拶ならすぐに答えられるようになった。
決まりきった言葉以外を言われると「…」という感じ。
習いたての英語を使うマラウイの子供たちと同じだ。
最近はヤーイ(NO)とパチョーコ(little)とチトゥンブカ(トゥンブカ語)を
組み合わせて「ヤーイ チトゥンブカ。パチョーコパチョーコ チトゥンブカ。」
といってその場を済ませる。
 
通勤路は住宅街と軽い林とメイズ(とうもろこしの一種)畑を通る。
それまでにたくさんの子供たちが習いたての英語を話してきたり手を握りにきたりする。
「How are you? What is my name?」
yourだよなと思いながら「Rie」と答えると次の日、わりと遠いところから私を発見し
「My name is Rie !」と騒ぐ声。かわいくてたまらない。
子供だけではなく大人もたくさん話しかけてくる。
 
こんなマラウイな日々を送って生きています。
2011/04/03 (Sun)
私にとっての研修最終日。腸チフスの予防接種に行った。
これはプライベートのクリニック。
右はカーテンに書かれたこのクリニックの名前。かわいい。
パブリックだと長蛇の列らしい。ここは10人くらいが待っていた。P1080440.JPG
P1080441.JPG







看護師にブスっと漫画のように直角に注射をされた。
「俺ええわ」の少年もおとなしく打たれていた。

ここは朝9時から夜10時までの診療時間で救急車も24時間体制。
この救急車がマラウイで一番の救急車だそうだ。
P1080442.JPG







首都の病院での食事は出ないことが多く、地方の病院は食事を提供されることが多いという。
これは首都では住居が近いため家族が食事を運びにこれるからで
国がそのように資金を分配しているらしい。
このため首都の病院はすごい人で時に病院で炊き出しをしているそうだ。
そして病院前にはご飯や食べ物屋がたくさんいるらしい。

午後はエイズについての講義。
1983年にマラウイでHIV陽性者が診断された。これは世界で発見されたのと同じくらい。
1998年に感染率16%でピークを迎えその後低下し現在12%。
2004年からエイズ治療薬無料サービスが開始した。

マラウイでは出産前検診においてHIV陽性かチェックしている。
出産は病院やクリニックですることが勧められている。
が、このまえミニバスで赤ちゃんを抱いていたお母さんに聞いたところ
入院期間は2日間だったと。すごい。

そこで質問。「予防薬は確実に提供できているのか?」
答えは「イエス」。
「では、なぜ他の薬は不足しているのか?」
これはエイズに関しては国家対策が組まれておりまったく違うルートらしい。
でもその素敵な戦略をどうして他の薬に広げられないのか。
やっぱりお金。お金がないからなんだなぁ。

この日の昼休み、近くの図書館に行った。
入ると入り口にコンドームが置いてあり自由に取れるようになっている。
へ~と手に取っていると中で勉強中のマラウイアンが私たちに注目している。
特に女子がクスクス笑っている。
やっぱり自然に取れるような感覚ではないんだなと思った。
そこは日本と似た感覚なのかもしれない。
JICAのオフィスがあるエリートな感じのエリアの中の図書館だったけど
本棚は空きあり。
P1080443.JPG







これは薬学系の本の棚。一番きれいな本は2007年のものだった。
やっぱりお金かなぁ。

マラウイは国の資金の40%が他の国からの寄付で成り立っている。
それってすごい。びっくり。その寄付で薬があり、いろんなものがあることを
理解してもったいないことのないように使っていればいいんだけど難しいんだろうな。

いざ任地へ!現実を見て自分の甘い先入観と比べてみよう。
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