元気なうちにやりたかったことをやろう!そんな思いで2011年3月より8月までマラウイで薬剤師として派遣されるマラリエ生活を綴った日記です。
2011/06/23 (Thu)
これで2万人のエリアをまかなうの!?JICAの要請にはヘルスセンターの在庫管理が
ひたすらいつ着くか電話する。来たのは9時半。
6月に入って朝晩が寒くなり、かつ「たまにはハイヒールはいてきてよ」
という病院スタッフにしょうがないなぁと少し薄着になるけど正装したため
風邪を引き始めた頃、2回目のヘルスセンター。
Euthiniヘルスセンターはムジンバから北に1時間半くらい。
今回からあっきーのレクチャーの間の時間を使って期限切れや過剰在庫を
集めることにした。
ヘルスセンターは今回も日本の支援で建てられた建てものがマタニティ用として、
その他に20床くらいの病棟および外来施設があった。
彼女が2万人くらいのエリアを1人でまかなっている。待合いには50人以上の患者。
それが朝から夕方まで続くそうだ。彼女が診察、処方、投薬を行う。
そんな中、薬品庫を見せてもらうと昨日薬をムジンバからもらったとのことだがスカスカ。
これで2万人のエリアをまかなうの!?JICAの要請にはヘルスセンターの在庫管理が
挙げられている。管理しようにも薬がないでしょ。
とりあえずは期限切れを持ち帰る。
「昨日もランチを食べたのは夕方4時過ぎだったの」と。
それにしては肉付きがいいけど、でもでもただただ村レベルの医療を考えさせられた。
そして帰路につこうとするも「あるヘルスセンターで妊婦を乗せてから」
と連絡が入ったそうだ。
何時間かかけて着くとすでに緊急だったらしく自家用車で行ってしまったあとだった。
もし、携帯の電波がつながっていればこの分の時間とガソリンを無駄にせずに
できたのに…。
そして2日後、今度はJendaヘルスセンターへ。南に1時間くらいの場所だ。
サクッと終わり2時くらいには病院に戻れるな♪と思っていたが
どこかに患者を拾いにいった救急車が帰ってこない。
待つこと3時間、やっときた~と思ったら患者と保護者でいっぱい。
他のスタッフを優先させ、私とあっきーとムッシュ(ニジェールからの振り替えで
マラウイに派遣されたばかりで見学に来ていた)の3人で待つことに。
病院に着いたらすぐに折り返してくるから2時間後に!と。
5時になり、ムッシュが泊まっているマサさんに帰りが遅くなると電話。
するとどうやら、またも患者を拾ってからうちらを拾うらしいことが発覚!
9時くらいになると!!なぜトランスポートオフィサーが電話をしてくれないんだ!!
なら、公共バスで帰るか!?と急いでM1へ。
すると大型バスは5分前に出てしまったと・・・。
少しヒッチハイクしてみるもダメ。暗くなり寒くなってきた。
ひたすらいつ着くか電話する。来たのは9時半。
患者と保護者がたくさんのところに乗り込み寒くて暗い車の中ムジンバへ。
家に着いたのは11時。
連絡のとれなさ、とらなさ、ガソリンの問題、末端医療の問題
(県病院に来たからといって薬や医療は同じ気もするけど…)、
とにかく「難しい」ということを実感した2日間だった。
そして風邪は悪化し、口唇ヘルペスが出てしまうことになる私であった。
私は2週間くらい鼻水だらだらで1回ヘルスセンター行きを断念。
行ったあっきーは車の故障でこれまた遅くなり体調を崩してしまう。
マラウイ人はそんなに病気じゃない感じでもすぐに薬を飲む。
すぐに病院にかかる。最初はどうなの?って思っていたけど、
村レベルなら確かに予防感覚で飲むことはありかもしれない。
末端に行けば行くほど薬の量は少なくなり、県病院に行きたくてもすぐにいけないから。
一方で県病院では薬を処方なしで取ろうという人がいたりする。
(先月のミーティングでの私の発言+掲示で以前より少なくなったみたいだけど)
本当に必要なところになかなかいかない。
栄養サポートのためのピーナッツのペーストをどっさりもらう病院スタッフ。
たくさんのNGOなり国の寄付金、そして寄付によってまかなわれるたくさんの物資が
本当に必要なところにいかない。
それが現実で、かつ様々な理由でなかなか変えられない。本当に難しい。PR
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