元気なうちにやりたかったことをやろう!そんな思いで2011年3月より8月までマラウイで薬剤師として派遣されるマラリエ生活を綴った日記です。
2013/08/29 (Thu)
最近、思う。個人の記憶や想いは、何においても、他人がコントロール出来るものではなく、ましてや、自分でさえコントロール出来ない。忘れまいとしても忘れてしまうし、忘れようとしても忘れられない。記憶や感情が自分でコントロールできればどんなに楽か。だから、強制してもしょうがなくて、しょうがないな、と思えればいいなと思う。
そういう中で、家族で一緒に海底清掃をすることは「素敵な教育」だなと思った。
海底には上の写真以上にまだまだホタテや牡蠣の網があるという。
大人数でなければ、埋まっているものを引き出すことは難しい。
左下は1年前に起喜来チルドレンが海底から引き上げた写真。瓦などに既に海草がついていたりすると、それは既に海の一部。しかし、網は中の鉄が錆びたあと、プラスチックの紐が残ることにより魚が食べてしまう。だから、取り出さなければならない。さすが水産学部。
最近、途上国でも先進国でもどこでも教育って本当に大切だなぁと思う。
先月、岩手県大船渡市起喜来(おきらい)に起喜来チルドレンの皆さんとご一緒させて頂いた。
今まで、被災地でたまたま初めて訪れたところが陸前高田市で活動のしやすさもあり、岩手というと陸前高田に行っていた。
大船渡は隣の市。私が起喜来チルドレンに出会ったのは2012年3月。
起喜来に北里大学の水産学部があった。(震災で校舎が使えなくなり、今は神奈川へ移転している。)
そこで学び過ごしたOG/OBの集いでガレキーホルダーを販売したときだった。
(そこに辿り着く経緯は→http://malarie.fukuwarai.net/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E3%81%8B%E3%81%91%E3%82%89%E3%81%AE%E5%BA%83%E3%81%8C%E3%82%8A)
そして、そこで震災後、その起喜来の海底清掃をしていると知る。
2013年5月。1年2ヶ月ぶりに起喜来チルドレンのおじさんに再会。
全く別の知り合いであるおじさんたちと、そのおじさんとで飲んでみたいと、ふと思った私発信の飲みで初めてきちんとお話する。FBでコメントを下さったり、なんとなく、おじさんとは興味や考え方が合うなと思っていたけれど、実際話すと興奮!!
そんな中、活動に参加させていただくことになり、兼ねてから気になっていた「起きれば(私の中では毎朝)喜びが来たる土地」というパワースポット(笑)の起喜来へ行くこととなった。
7月26日夜、東北は雨続き。隣の陸前高田を通って大船渡へ向かったわけだが、途中の気仙大橋の前は冠水で通行止め。解除されてからも片道ずつゆっくり水の中を進む。
朝5時過ぎ。8ヶ月ぶりの陸前高田。私にとっては、明らかに変わっていた。今まで何度か訪れているけど、初めて大きく変わったな、と思った。
高田病院が無い。マイヤが無い。高田高校が無い。ずっと残っていた家の屋根が無い。朝靄の幻想の中、街の後に雨がいくつもの大きな水溜りを作っていた。
起喜来に着き、車で仮眠を取って予定時刻に起きるも雷が止まないため待機。
雷が止んだのを確認して活動開始。
①陸上部隊がロープを投げる。
②ダイバーが海底の瓦礫をロープにつなげる、もしくは網の中に瓦礫を入れてロープにつける。グイ!グイ!と男らしく引っ張り、上げていいよの合図。
③陸上部隊がロープを引っ張る。
瓦礫を上げていくにつれて、生活が見えてくる。瓦、洗濯機のホース、電話の子機、急須、ビデオテープ。
今回は大学生、高校生、小学生も家族で来ていた。一番小さい3年生の男の子。じっと瓦礫を見て、子機のボタンを押していた。私が「ビデオテープ、何がうつってたんだろうね。悲しいね。」なんて話しかける。無邪気に瓦礫の中から小さなカニを採って遊んだり、とってもかわいい男の子。3兄妹の末っ子。この3人はお母さんと一緒に何度もこの地に来ているという。初めてお父さんと一緒に来た高校生もいた。親や他の人と一緒に活動する。素敵だなと思った。
今まで、被災地でたまたま初めて訪れたところが陸前高田市で活動のしやすさもあり、岩手というと陸前高田に行っていた。
大船渡は隣の市。私が起喜来チルドレンに出会ったのは2012年3月。
起喜来に北里大学の水産学部があった。(震災で校舎が使えなくなり、今は神奈川へ移転している。)
そこで学び過ごしたOG/OBの集いでガレキーホルダーを販売したときだった。
(そこに辿り着く経緯は→http://malarie.fukuwarai.net/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E3%81%8B%E3%81%91%E3%82%89%E3%81%AE%E5%BA%83%E3%81%8C%E3%82%8A)
そして、そこで震災後、その起喜来の海底清掃をしていると知る。
2013年5月。1年2ヶ月ぶりに起喜来チルドレンのおじさんに再会。
全く別の知り合いであるおじさんたちと、そのおじさんとで飲んでみたいと、ふと思った私発信の飲みで初めてきちんとお話する。FBでコメントを下さったり、なんとなく、おじさんとは興味や考え方が合うなと思っていたけれど、実際話すと興奮!!
そんな中、活動に参加させていただくことになり、兼ねてから気になっていた「起きれば(私の中では毎朝)喜びが来たる土地」というパワースポット(笑)の起喜来へ行くこととなった。
7月26日夜、東北は雨続き。隣の陸前高田を通って大船渡へ向かったわけだが、途中の気仙大橋の前は冠水で通行止め。解除されてからも片道ずつゆっくり水の中を進む。
朝5時過ぎ。8ヶ月ぶりの陸前高田。私にとっては、明らかに変わっていた。今まで何度か訪れているけど、初めて大きく変わったな、と思った。
高田病院が無い。マイヤが無い。高田高校が無い。ずっと残っていた家の屋根が無い。朝靄の幻想の中、街の後に雨がいくつもの大きな水溜りを作っていた。
起喜来に着き、車で仮眠を取って予定時刻に起きるも雷が止まないため待機。
雷が止んだのを確認して活動開始。
①陸上部隊がロープを投げる。
②ダイバーが海底の瓦礫をロープにつなげる、もしくは網の中に瓦礫を入れてロープにつける。グイ!グイ!と男らしく引っ張り、上げていいよの合図。
③陸上部隊がロープを引っ張る。
瓦礫を上げていくにつれて、生活が見えてくる。瓦、洗濯機のホース、電話の子機、急須、ビデオテープ。
今回は大学生、高校生、小学生も家族で来ていた。一番小さい3年生の男の子。じっと瓦礫を見て、子機のボタンを押していた。私が「ビデオテープ、何がうつってたんだろうね。悲しいね。」なんて話しかける。無邪気に瓦礫の中から小さなカニを採って遊んだり、とってもかわいい男の子。3兄妹の末っ子。この3人はお母さんと一緒に何度もこの地に来ているという。初めてお父さんと一緒に来た高校生もいた。親や他の人と一緒に活動する。素敵だなと思った。
最近、思う。個人の記憶や想いは、何においても、他人がコントロール出来るものではなく、ましてや、自分でさえコントロール出来ない。忘れまいとしても忘れてしまうし、忘れようとしても忘れられない。記憶や感情が自分でコントロールできればどんなに楽か。だから、強制してもしょうがなくて、しょうがないな、と思えればいいなと思う。
そういう中で、家族で一緒に海底清掃をすることは「素敵な教育」だなと思った。
海底には上の写真以上にまだまだホタテや牡蠣の網があるという。
大人数でなければ、埋まっているものを引き出すことは難しい。
左下は1年前に起喜来チルドレンが海底から引き上げた写真。瓦などに既に海草がついていたりすると、それは既に海の一部。しかし、網は中の鉄が錆びたあと、プラスチックの紐が残ることにより魚が食べてしまう。だから、取り出さなければならない。さすが水産学部。
最近、途上国でも先進国でもどこでも教育って本当に大切だなぁと思う。
大きくなった大人たちは、個が出来上がっているのでなかなか新しい考えなどを浸透させるには難しい。私たちが今当たてり前と思っていることは、小さい頃からの環境、教育がそうさせるわけで、だから、今の世の中をどうにか変えたいととか、このことを伝えていくためには子どもへの教育・環境が大切。
今回お世話になった起喜来チルドレンの皆さんは、自分たちのチルドレンにも、起喜来にも喜びを来たす素敵な方たちだった。私も子供たちに寄与できるそんな大人を目指したい。
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