ちょうど2年前の2011年2月の最終週、私はJICAの短期派遣者の5日間の訓練を受けていた。短
期派遣者と共に語学免除の派遣者も受けており、その中で今でも唯一繋がっているおじさまがいる。訓練を終え、熱いメールのやりとりで、仕事を前の週で辞めて実家に引き上げるバタバタの中、メールに涙したことを覚えている。
私を「一番の同期」と2年前からいってくれている。
今年、おじさまに再会することがとても重要な気がして、マレーシア行きを決めた。
おじさまは長期派遣のため、短期で早く帰国する私に「マラウイから帰ってきたら私の学校の生徒にマラウイの話をしてください」と2年前に言われていた。
2年ぶりの再会、2年ぶりの約束。
改めて、マラウイで私は何を感じたんだろうと振り返った。
今、病院に来る薬学生にもマラウイの医療を紹介させてもらっているが、日本人に伝えるのとは違う。
「日本人」である私は何を感じたんだろう。ち
ょうど国の発展でいえば、マラウイと日本の間に位置すると思われるマレーシア。物質的には日本と変わらない。おじさまは彼らは精神面で発展途中だという。
私たちが小さい頃、たくさんの先生の話を聞いたと思うけど覚えているのはわずか。私の話を覚えてて!なんてことは言わない。アフリカを近く感じるきっかけになればと思った。そして、1人でもほんの一瞬、心の中の何かのきっかけになればなと思った。
3月4日朝早く、マラウイアンドレスをまとった意味不明な日本人は学校へと向かう。
タイムカードを押しに来るスタッフ。そして車でどっか行ってしまう。押しに来て家に帰る。夕方も同様。もちろん一部の人だけど。マラウイで、タイムカードがあればなぁ、なんて思ったこともあったけど、こうなるのね。
必要なのは物じゃない、精神なんだな。
朝礼を拝見。
クラスごとに整列して校長先生の言葉を聴く。トゥドゥンと呼ばれる頭からかぶる布をかぶっているかいないかで女の子はイスラムかどうか一目瞭然。そして、校長の話を聴いているとき手を上にして受け止めている。
話が終わると…飲んだ!!イスラムではお言葉を飲むらしい。
午前中。50名程度の生徒と先生に対して講義。お話しながら途中で写真や動画を見せていく。
①マラウイについて
イギリスの植民地であった,国家予算の40%が寄付,キリスト教の次にイスラム教が多い,
主食のシマ,妊婦は砂を食べる,砂と水で作るブロックとそれで出来ている教会,炭を入れたアイロン,
マラウイの職業訓練校→マラウイ隊員に頂いた写真を紹介。マラウイの生徒は仕事に就きたいと強く願っている。
マラウイには十分に仕事はなく、マラウイで先生をしている友人の言葉
「仕事を得るために、仕事のために勉強できることは本当に幸せだ」を紹介。
〈マレーシアでは卒業しても就職しない生徒が多い〉
② 私の仕事
ボトルから袋に薬を小分け,5S活動(整理整頓など),HIV陽性の患者やクリニックのスタッフに薬を飲み続けることが重要であることのミニミニ講義
③私が感じたこと
【病院で】
不足がより悪い循環を作る
(お金が無いから薬が買えない→薬が無いからプライベートの高い薬を買う→お金を返せないから国が貧しくなる)
処方箋無くスタッフが薬を持っていく(長い列を作り待っている患者は悲しく思うのに何故それが出来るのか)
会議に遅刻する(待っている人は時間の無駄、つまらないのに何故そうするのか)
5S(自分のためではなく、次に使う誰かのためでもある)
【村で】
不足が不足をもたらす(薬が足りない→貴重なガソリンを使って大きな病院に取りに来る。電気が無いためメールができない→薬の在庫を紙で車で運んで持ってくる。電気が無い→ガソリン不足、そのためのお金も費やす。)
⑤たくさんの問題があるけど、たくさんのあったかい心もある。
貧しいことは必ずしも不幸せではない。しかし貧しさは容易に突然に不幸をもたらす。
初めてマラウイに来た時に、こんな健康そうな人に薬が必要なのかと思ったけれど、
彼らにとっては悪くなる前に薬で治療することが大切。彼らは容易に死んでしまう。
では、彼らに何が必要なのか。薬をきちんと飲むこと、手を洗うこと、きちんとした情報を得ることが必要。
私はマラウイ4番目の年に住んでいたけど本屋は無い。
新聞は一般の人には高い。テレビも一般家庭には無い。
彼らはラジオや人づてに情報を得ている。
だから教育が大切。文字を読むため、本を読むため、世界を知るため。
マラウイの難民キャンプで日本語を勉強するコンゴ人。
これから先使うことのない言語を楽しく学ぶ姿勢。
私たちはこの世に生まれてとってもラッキー。時間は限られている。
もし、幸せなら長い人生はいい。そのためにはお互いがお互いを思うことが大切。
それは時間を守ったり5Sだったりにもあてはまる。
そして、教育は必要。
私のマラウイの友人が「なぜこんなに優しくしてくれるのか?」と聞いてきたので「それはあなただから」と言った。
私も彼に同じことを聞くと「それはあなただから」と言った。
お互いに思いやること、そうすれば私たちはみんな幸せになれるんじゃないか。
そうマラウイで感じ、それをマラウイで学んだ。
ハビス!(マレー語で終わり)
私の後半のあっつい話しになると、ニヤリとして、熱い奴の話にうんざりな生徒もいたけど映像とか写真とか後ろの方の生徒まで首を伸ばして見ていて、嬉しかった。やっぱり子供の歌って踊る映像はみんないい顔して笑って見てたな。
複雑に考えず、感じればいい。覚えていなくたっていい、知らなかった世界に少し触れるだけでいい。
午後は15名ほどのクラス。
訳す先生もいなく、英語力が午前に比べ劣るというので、文を短く、簡単に話したら30分で終わり質問タイムになった。
「子供たちは学校に行けてるの?」とか、「アルバイトでアフリカに関係する会社で働いててアフリカをもっと知りたいんだ」とか、澄んだ質問がいくつかあった。
少人数だったせいか、2回目であったせいか、1人1人の表情を見て話せて、眼が真剣で優しい生徒がいた。
各授業とも最後の最後は日本からのお土産。
桜の写真を見せて「これは何か知ってますか?」というと「SAKURA!!」とみんな知っている。
「私たち日本人は春を感じ、時に桜茶を飲んだり食べたりします」といって、桜餡の揚げ饅頭を1人ずつ渡した。
1つずつに「時間を共有してくれてありがとう」と裏に、そして表に
「Tere makashi banyak(マレー語) Yewo chomene(トゥンブカ語) ありがとう」と書いた紙をつけてある。
トゥンブカ語についてYewoはありがとう、chomeneはとても、と説明すると1人が「かわいいchomene!」と私に言ってくれた。
なんて素晴らしい!!マレーシア人が日本語とトゥンブカ語をミックスさせた!!
意味も完璧!!大満足で講義を終えた。
以上が私の宗教活動。残念ながら、ごっくんと私の話を飲んでくれる生徒はいなかった。
いつか私の話を両手で受け止めて飲み込んでくれるようになったらいいなぁ。
おいしいSAKURAでマラウイは吹っ飛んだかもしれないけどそれもあり。
日本人がマラウイをマレーシアに紹介。
マレーシアに紹介することで違った視点で見直すことが出来た。
日本人の多くは、「見えない」相手のことを想って行動できるんだなと帰国後1年半たってようやく気がついた。
マラウイにいたときにはそれに気がつかなかった。
もちろん全ての人ではないけど、目の前の人には手を差し伸べることが出来るけど、自分の目の前にいない薬局の外で待つ患者さん、会議室で待つ人、次にその道具を使う人、見えない相手を考えることが出来ない。日本人はそれが出来る。
この精神はいいと思う。もし、そうできたら、きっとマラウイアンもお互い嬉しいし気持ちいいし、もっと幸せに思うと思う。
だから、そのためにはやっぱり教育、教育が必要なんだな。
マラウイには5ヶ月しかいなくて、そんな私が語るなという感じだけど、私がたまたま出会ってたまたま感じたことをたまたま誰かに共有する。それでいい。
だって、全世界を知るのも全人類に会うのも不可能。出会いはたまたまだから。
たまたま2年前出会った今回の貴重な機会を与えて下さったおじさまに心より
Tere makashi chomene!!