元気なうちにやりたかったことをやろう!そんな思いで2011年3月より8月までマラウイで薬剤師として派遣されるマラリエ生活を綴った日記です。
2011/08/19 (Fri)
7月30日(土)ムジンバでJAPAN FESTIVALが開催された。
これはJICAボランティアが中心となって企画したもの。
マラウイに隊員が派遣されて今年で40年となる。
8月24日に首都で記念式典がある(私は21日に出国のため参加できず!)が
北部での記念イベントとして私が来る前から計画されていた。
6月の始めに「実行委員募集」のメールが届いて、少し迷ったものの
こういうイベントをやるのはJICAならではだし、やるか!と実行委員になった。
私が思うにJICAはNGOとかに比べると特殊で「交流」も主目的に入っている。
国内に隊員がいることでその仲間意識というか団体意識もありこういったイベントも
JICAならではかな、と思う。
2人の隊員の呼びかけで始まったこのイベント。
実行委員の中でも主要となったのは私を含めた4人。
これは街の中心に住んでいるため集まりやすいからだ。
始めは「原爆展と日本の発展の歴史展」という内容でやる予定だったが、
かたすぎるということで経済的な泥ストーブ、日本文化紹介、ダンスも
取り入れることになった。
そして「展示をするなら震災についても展示したい」という私の意向で
震災についても展示することとなった。
盛りだくさんの内容で、場所をどうするか?どのように展示を配置するか?
ストーブはどこに設置するか?人の流れは?など話し合い現地に行き進めてきた。
私は展示、広報担当。展示に関しては5月に南部でやったものを一部使わせてもらい、
一度ホールに入ったら原爆⇒戦後の日本の発展⇒北部ボランティアの活動紹介⇒
震災の順で見るようになっており、目的は「豊かな先進国であると思われている日本で
あるが、原爆によって破壊された日本、その後の発展の経過、そうして発展してきた
日本のボランティアの活動、そして先に起こった東日本大震災の展示を見ることにより、必ずしもずっと豊かであったわけではないこと、違った側面をマラウイ人に紹介する。
そして私たちは東日本大震災という新たな困難を経験したが戦後につちかった経験を
もとに諦めずに進んでいくという精神を理解してもらう。共に感じ受け止め考える
ことにより自分の国や生活について考え発展の過程に関わるきっかけを作る。」である。
ステージでは現地語に訳した戦後の日本の映像と津波の映像を流した。
当日まで、街につるした横断幕がバスにひっかかり1日で取れてしまい、
場所を変えてまたつるしたものの2日にして取れてしまい、
マラウイ人に来てもらって1日がかりでまた付け替えたり、
1週間前にはストーブのデモの予行練習をしてみたり、なかなか疲れた。
当日、8時から開始予定。ところが停電。用意していたジェネレーターを使おうと
するも使えず。結局、浴衣を着せたり自分の名前を習字で書くといった文化紹介を
外で、中の展示も呼びかけたが映像もないためなかなか来ず・・・。
呼び込みをしたりしながら過ぎていく。
ジェネレーターが稼動し10時からの11時半にずれこんだもののショーの開始。
まずはマラウイ、日本の国歌斉唱。日本を強く感じた一時だった。
空手や相撲、盆踊りなどなどマラウイ人も一緒に踊って締めはよさこいソーラン!
よさこいソーランは長期隊員の日本の3ヶ月事前研修でおなじみらしく、
せっかくだから私も参加!ということで事前に練習もした。
ムジンバの調整員も参加して30人ほどの日本人で踊った。
アンコールでマラウイ人も入ってみんなで「どっこいしょ~」と、
私も隣に家の警備員が入り一緒に笑って踊って楽しかった~♪
そして午後は展示再開とストーブでお好み焼きデモンストレーション。
展示では私は震災のパネルの前にいて、PCで映像を流し、雑誌も置いて説明。
子供も大人もたくさん興味を持ってくれた。
そして私が当日東京で感じた地震、その後の様子などを書いたパネル、
友人が2週間前に訪れた宮城のレポートも展示した。
JICAマラウイ次長にも「わかりやすくていい展示だった」と
褒められたし、たくさんのマラウイ人が足を止めてみてくれ質問もしてくれた。
「津波って何?」というマラウイ人。津波を地震の名前と思っていた人。
現地語が話せなく映像を見ている子供たちに
「ガリモト(車)、ニュンバ(家)、わ~」と波を体で表現して津波を説明。
理解は難しかったかもしれないけど何かは感じてくれたと思う。
展示全体でも
「原爆がこんなにひどかったとは・・・」
「発展にはお金が必要だと思っていたけど違うんだね」
「津波は本当にひどい」
などなど感想があり気持ちを共有できたかなと思う。
私はもう帰国だけれども残った実行委員会でこの展示だけで
学校をまわっていくのもいいね、と話している。
あっという間にイベントは終わりみんなで打ち上げ。
みんなでショーの動画を見て笑った。
実行委員になったことで更に色んな隊員と話すことが出来て良かった。
やっぱりなんでも参加するのがいい。
いつだかブログに書いた被災地への絵を描いてもらったアイザック。
彼に今回の横断幕を書いてもらった。デザインは隊員だけどきちんと
デザインどおりに仕上げてくれ、期日もきちんと守ってくれた。
最後に彼の作った横断幕を背にみんなで記念撮影。
それを目の前で満足げに見るアイザック。
あ~、彼とは本当にいい出会いだったなぁと思った。
JICAらしい1日に大満足でした。
これはJICAボランティアが中心となって企画したもの。
マラウイに隊員が派遣されて今年で40年となる。
8月24日に首都で記念式典がある(私は21日に出国のため参加できず!)が
北部での記念イベントとして私が来る前から計画されていた。
6月の始めに「実行委員募集」のメールが届いて、少し迷ったものの
こういうイベントをやるのはJICAならではだし、やるか!と実行委員になった。
私が思うにJICAはNGOとかに比べると特殊で「交流」も主目的に入っている。
国内に隊員がいることでその仲間意識というか団体意識もありこういったイベントも
JICAならではかな、と思う。
2人の隊員の呼びかけで始まったこのイベント。
実行委員の中でも主要となったのは私を含めた4人。
これは街の中心に住んでいるため集まりやすいからだ。
始めは「原爆展と日本の発展の歴史展」という内容でやる予定だったが、
かたすぎるということで経済的な泥ストーブ、日本文化紹介、ダンスも
取り入れることになった。
そして「展示をするなら震災についても展示したい」という私の意向で
震災についても展示することとなった。
盛りだくさんの内容で、場所をどうするか?どのように展示を配置するか?
ストーブはどこに設置するか?人の流れは?など話し合い現地に行き進めてきた。
私は展示、広報担当。展示に関しては5月に南部でやったものを一部使わせてもらい、
一度ホールに入ったら原爆⇒戦後の日本の発展⇒北部ボランティアの活動紹介⇒
震災の順で見るようになっており、目的は「豊かな先進国であると思われている日本で
あるが、原爆によって破壊された日本、その後の発展の経過、そうして発展してきた
日本のボランティアの活動、そして先に起こった東日本大震災の展示を見ることにより、必ずしもずっと豊かであったわけではないこと、違った側面をマラウイ人に紹介する。
そして私たちは東日本大震災という新たな困難を経験したが戦後につちかった経験を
もとに諦めずに進んでいくという精神を理解してもらう。共に感じ受け止め考える
ことにより自分の国や生活について考え発展の過程に関わるきっかけを作る。」である。
ステージでは現地語に訳した戦後の日本の映像と津波の映像を流した。
当日まで、街につるした横断幕がバスにひっかかり1日で取れてしまい、
場所を変えてまたつるしたものの2日にして取れてしまい、
マラウイ人に来てもらって1日がかりでまた付け替えたり、
1週間前にはストーブのデモの予行練習をしてみたり、なかなか疲れた。
当日、8時から開始予定。ところが停電。用意していたジェネレーターを使おうと
するも使えず。結局、浴衣を着せたり自分の名前を習字で書くといった文化紹介を
外で、中の展示も呼びかけたが映像もないためなかなか来ず・・・。
呼び込みをしたりしながら過ぎていく。
ジェネレーターが稼動し10時からの11時半にずれこんだもののショーの開始。
まずはマラウイ、日本の国歌斉唱。日本を強く感じた一時だった。
空手や相撲、盆踊りなどなどマラウイ人も一緒に踊って締めはよさこいソーラン!
よさこいソーランは長期隊員の日本の3ヶ月事前研修でおなじみらしく、
せっかくだから私も参加!ということで事前に練習もした。
ムジンバの調整員も参加して30人ほどの日本人で踊った。
アンコールでマラウイ人も入ってみんなで「どっこいしょ~」と、
私も隣に家の警備員が入り一緒に笑って踊って楽しかった~♪
そして午後は展示再開とストーブでお好み焼きデモンストレーション。
展示では私は震災のパネルの前にいて、PCで映像を流し、雑誌も置いて説明。
子供も大人もたくさん興味を持ってくれた。
そして私が当日東京で感じた地震、その後の様子などを書いたパネル、
友人が2週間前に訪れた宮城のレポートも展示した。
JICAマラウイ次長にも「わかりやすくていい展示だった」と
褒められたし、たくさんのマラウイ人が足を止めてみてくれ質問もしてくれた。
「津波って何?」というマラウイ人。津波を地震の名前と思っていた人。
現地語が話せなく映像を見ている子供たちに
「ガリモト(車)、ニュンバ(家)、わ~」と波を体で表現して津波を説明。
理解は難しかったかもしれないけど何かは感じてくれたと思う。
展示全体でも
「原爆がこんなにひどかったとは・・・」
「発展にはお金が必要だと思っていたけど違うんだね」
「津波は本当にひどい」
などなど感想があり気持ちを共有できたかなと思う。
私はもう帰国だけれども残った実行委員会でこの展示だけで
学校をまわっていくのもいいね、と話している。
あっという間にイベントは終わりみんなで打ち上げ。
みんなでショーの動画を見て笑った。
実行委員になったことで更に色んな隊員と話すことが出来て良かった。
やっぱりなんでも参加するのがいい。
いつだかブログに書いた被災地への絵を描いてもらったアイザック。
彼に今回の横断幕を書いてもらった。デザインは隊員だけどきちんと
デザインどおりに仕上げてくれ、期日もきちんと守ってくれた。
最後に彼の作った横断幕を背にみんなで記念撮影。
それを目の前で満足げに見るアイザック。
あ~、彼とは本当にいい出会いだったなぁと思った。
JICAらしい1日に大満足でした。
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