元気なうちにやりたかったことをやろう!そんな思いで2011年3月より8月までマラウイで薬剤師として派遣されるマラリエ生活を綴った日記です。
2011/07/04 (Mon)
マダムが泣いた。初めてマラウイで泣いた。
3人いるウォッチマン(警備員)のうちマダムの結婚を予言した
お気に入りのジョセフィが6月25日朝まででやめることになった。
彼は28歳でセカンダリー(4年間)と呼ばれる日本で言う中学校を出ていない。
南部のブランタイヤという都市で兄弟と一緒に暮らして9月から通い始めると言う。
2日前に帰宅してから庭で話す。「明日が最後だね」と。
そこからジョセフィは思い出を話し始め、マダムに心から感謝してくれた。
「マダムは優しい」と。「それはあなたたちが優しいからだよ。」と互いにほめあう。
彼とは彼の恋の話やらマラウイと日本について、そして神様についてもよく話した。
初めて教会に行ったもの彼とだった。被災者への歌のオーガナイズも彼がしてくれた。
そんなことを話していくうちに「マダムと別れるときは泣いてしまうよ。」と。
そんなことを言われると嬉しすぎて涙が出てきた。本当にさみしい。
そして出会えたことに感謝するばかり。
「でも、明日があるからね。明日に話はとっておこうね。」とその日を終える。
そして最後の日の夜、マダムは全員のウォッチマンとの
フェアウェルディナーを企画する。ツナじゃがとアボガドサラダとゆかり。
手前がブランタイヤに行ってしまったジョセフィ。真ん中がコスモス。奥がモヨ。
そして1人ずつ言葉をジョセフィに。そしてジョセフィから言葉を。
そんな中、私のもう1人のお気に入りのコスモスが「Good name is better than rich」
と言った。ジョセフィのそのいつもの態度をブランタイヤでも続けてほしい。
その後に言った言葉がこれだった。そして「なによりも、こうして4人でご飯を
食べさせてくれる会を開いてくれたマダムに本当に感謝します」と最後はマダムに
みんなが感謝してくれる。ただそうしたかっただけなのに。
ジョセフィは「このいすに座れるだなんて。」と。
コスモスは「ボスの家でご飯を食べるなんて。」と。
モヨは「みんな兄弟であり姉妹だ。」と。
でも本当にすぐに情がうつってしまうのが私の欠点だが、たった3ヶ月だけど
家族みたいに大切。たくさんのことを教えてくれて本当に感謝。
同じことを互いにいい合う私たち。
ジョセフィが「どこにいってもどこでもマダムのことをみんなに言います。
マダムのことは永遠に私の頭の中にいます。」と。みんなも一斉に頷き私も頷く。
私も永遠に忘れない。忘れようがない。たった3ヶ月だけど活動の中ではないけど
私のことを言い伝えてくれるなんて嬉しい。
彼が学校を卒業して、たくさんの子供たちに彼から色々教えて彼のような
素敵な意識を持てる人が増えればいいな。
最後にまたみんなでお祈りして終わった。いい1日だった。
翌日、朝6時までが彼の仕事。7時半くらいのバスに乗ると言っていた。
朝、見送って最後泣いちゃうかな、と思いながら寝て、朝6時前に起きて
外へ行こうとすると手紙が落ちている。まさか!
外に出るとモヨが「もう出て行きました」と。
え~!!とドアを閉め手紙を読む。
4時ごろマダムを起こしては悪いのでこのまま行きます、と。
ボロボロ泣きながら読む。まだ会えると思っていたのに。
もうきっと一生会えない。だからきちんと見送りたかったのに。
手紙はたくさんの感謝と私のために祈るというような内容だった。
そしてこの地球で会えなかったとしても、またいつか、天国で会いましょうと。
天国はあればいいなぁと思っていた。でもあるのかもしれない。
またいつか会えればいいなぁ。マイケルジャクソンのような平和オーラを放っていた
彼の新たな人生がうまくいくことを心から祈る。
この前もコスモスとなんかの話から「マダムがもう行ってしまう。日に日に近づいている。
マダム、たくさんの心をありがとう。」と言ってくれた。
そして「I Pray for you, everytime and everywhere]と。本当に嬉しい。
そして「I Pray for you, everytime and everywhere]と。本当に嬉しい。
というか何もしてなくてこちらこそ本当にいろんなことを教えてくれて
よく話してくれてありがとうなのに。
ジョセフィにあげた手紙に「たくさんの心をありがとう」と書いたのだが、
それと同じことを言われた。
相思相愛のムジンバのチャントンバの1軒家。
あと1ヶ月ちょい、日々たくさん話して一緒に過ごしてたくさん心をもらって帰ろう。
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