元気なうちにやりたかったことをやろう!そんな思いで2011年3月より8月までマラウイで薬剤師として派遣されるマラリエ生活を綴った日記です。
2011/10/03 (Mon)
前にもブログで載せているが栄養士のあっきーの活動に載せてもらい
ヘルスセンターのスタッフに対してのHIV薬物療法の説明と、
病院の中での患者に対する薬物療法の説明を行っていた。
私はHIVについての知識がなく最初は調べ、模造紙に絵を描き、
患者にもわかるようにトゥンブカ語で書いたものを作った。
講義内容を作るためパソコンにばかり向かっていて「りえは働いてるの?」
と言われたりしながらもっと薬局にいるべきなのかも、と自問自答しながらも、
現地語がわからないのでスタッフに「免疫ってトゥンブカ語で書いて!」と
教えてもらいながらなんとか完成。
5月下旬から患者と村のヘルスセンタースタッフ向けに講義を始めた。
3ヶ月で8箇所のヘルスセンターに行くことが出来た。
青空の木の下で講義をすることもあったし、エイズ隊員がいる村にも行き、
大勢の村の人の前で話すこともあった。
講義の評判は良かったし、要望も多かった。
患者は「薬を飲んでから目が見えなくなった気がするけどそれは副作用?」とか
「彼もHIV+で子供が欲しいけどどうしたらいい?」
「ご飯が食べれなかったら薬はどうすればいい?」
など本当に日本でも聞かれるような内容の疑問をたくさん持っていた。
私の講義内容は、みんなが測っているCD4とHIVの関係から説明し、
なぜ薬を飲み続けたほうがいいのか?
副作用があったらどうしたらいいのか?
最後は「マンファーラ パフーピパフーピ(規則正しく薬を飲みましょう)
ユオアヤーニ ブネネーシヨ(正直に言いましょう)。」で終わる。
これだけはトゥンブカ語で最後に言う。するとワハハハ・・・と笑ってくれる。
「マプリキーシャ(わかった)?」と言うと「エエ(はい)」とみんな。
講義を村で続けていくうちに、「母子感染の薬物療法もやってほしい」と言われて
作ってみたり「今日の講義の説明文をコピーしてくれ」と言われ
次からは配布するようにしたり村のスタッフたちは本当に熱心だった。
「薬を飲むとブツブツがある子供が生まれるのは本当か?」とか
「抗HIV薬が有料になると聞いたけど村レベルではとても買えない。
今から何かやれることはないか?どうしたらいいか?」などなど
村という何もないところで対患者に接する彼らからは多くの質問を受けた。
そうそう、いくら村で広げても新たにスタッフが増えていくので
そこで知識を入れないと!と、新スタッフへのトレーニングが開催されている
ことを知り、トレーニングの一部に講義を入れてもらうようにして8月には
新スタッフ(彼らは村で働く)に対して講義を行った。
すると「HIVの薬を見てみたい!」と。
確かに!そこで、ドクターが管理している抗HIV薬を拝借してみんなに見せた。
私も初。「普通の錠剤だね~。1錠で3種類が混ざっているんだよ!」と説明。
ヘルスセンターでもHIVの薬を出していいところと出してはいけないところが
決まっている。これは処方医がトレーニングを受けなくてはならなかったり
抗HIVは厳密に管理されるため、それに見合う施設なり人員が必要なため。
抗HIV薬をおけるヘルスセンターを増やしていこうとしているが、
一方で開設したものの予想よりHIV感染者が少なかったり、
小児と大人の人口比が異なり薬が余っていて期限切れになってしまって
いるケースもあった。開設した後に、フォローをできなければこうなってしまう。
フォローしたくてもガソリンがないのかもしれない。
交通手段が無いのかもしれない。難しいな。
私がいる間だけでも少しは知識が広まればいいなと思った。
もちろん、ガイドライン含め医療は変わっていくからということを伝えたが
電気の無い、電波の届かない彼らがその変化についていくことは難しい。
だからこそ、こういった村レベルに入っていくことは意義があると思う。
では、ヘルスセンターに所属すべきか?というと違うと思う。
県病院に所属しているからこそ、各ヘルスセンターに行くことができ、
救急車という交通も利用できるのである。
ヘルスセンターの多くは救急車が無い。急患が出たときは県病院からの救急車を待つ。
とにもかくにも、私の活動は6月からルーチンとなった。
これはとても早いと言われる。でもこれも、先にいたアドミニのまささん、
栄養士のあっきーの活動を利用させてもらったのと、
そこを使おうという私の図々しさのお陰。
月曜・水曜はヘルスセンターに行ける時は行って講義。行って帰って1日がかり。
火曜・木曜の午前中は院内で対患者にHIV薬物療法講義(途中から1日2回することも)。
水曜・金曜は5S巡回。隔週水曜午後は5S会議。
月1回糖尿病教室のお手伝い。
残りは朝2時間ほどはパッキング、その他は薬局の整理整頓、病棟薬剤チェック、
5S活動+α部分をやって過ごした。
5ヶ月。あっという間。ムジンバの子供たちへの草の根教育、病院スタッフへの草の根教育、
そして本来の活動。
役にたてたかはわからないけど、自分にとっても、ある一部のマラウイアンにとっても
濃い時間だったことは確か。
短期のわりに旅行もたくさん行けたし、現地の人たちとの交流も多く出来たと思う。
同じ病院に私よりも長くいる隊員が誘われてないのに、私だけランチに家に招いてくれたり。
人徳かな(笑)。ま、続くものなのかどうなのかそんなのはどうでもよくて。
他の隊員から「1年以上いるよね?」と言われる。自分でもそんな感覚。
職場も家の周りの子供たちとも長い間一緒にいる気がする。
しかしながら、この5ヶ月、今は全く行った実感が無い。
びっくりするくらい、行ったけ?って感じ。
でも写真や動画を見るとほっこりする。私、やっぱり行ってたんだね。
また、マラウイに行けますように。
Malawi Yewo Chomene !!
ヘルスセンターのスタッフに対してのHIV薬物療法の説明と、
病院の中での患者に対する薬物療法の説明を行っていた。
私はHIVについての知識がなく最初は調べ、模造紙に絵を描き、
患者にもわかるようにトゥンブカ語で書いたものを作った。
講義内容を作るためパソコンにばかり向かっていて「りえは働いてるの?」
と言われたりしながらもっと薬局にいるべきなのかも、と自問自答しながらも、
現地語がわからないのでスタッフに「免疫ってトゥンブカ語で書いて!」と
教えてもらいながらなんとか完成。
5月下旬から患者と村のヘルスセンタースタッフ向けに講義を始めた。
3ヶ月で8箇所のヘルスセンターに行くことが出来た。
青空の木の下で講義をすることもあったし、エイズ隊員がいる村にも行き、
大勢の村の人の前で話すこともあった。
講義の評判は良かったし、要望も多かった。
患者は「薬を飲んでから目が見えなくなった気がするけどそれは副作用?」とか
「彼もHIV+で子供が欲しいけどどうしたらいい?」
「ご飯が食べれなかったら薬はどうすればいい?」
など本当に日本でも聞かれるような内容の疑問をたくさん持っていた。
私の講義内容は、みんなが測っているCD4とHIVの関係から説明し、
なぜ薬を飲み続けたほうがいいのか?
副作用があったらどうしたらいいのか?
最後は「マンファーラ パフーピパフーピ(規則正しく薬を飲みましょう)
ユオアヤーニ ブネネーシヨ(正直に言いましょう)。」で終わる。
これだけはトゥンブカ語で最後に言う。するとワハハハ・・・と笑ってくれる。
「マプリキーシャ(わかった)?」と言うと「エエ(はい)」とみんな。
講義を村で続けていくうちに、「母子感染の薬物療法もやってほしい」と言われて
作ってみたり「今日の講義の説明文をコピーしてくれ」と言われ
次からは配布するようにしたり村のスタッフたちは本当に熱心だった。
「薬を飲むとブツブツがある子供が生まれるのは本当か?」とか
「抗HIV薬が有料になると聞いたけど村レベルではとても買えない。
今から何かやれることはないか?どうしたらいいか?」などなど
村という何もないところで対患者に接する彼らからは多くの質問を受けた。
そうそう、いくら村で広げても新たにスタッフが増えていくので
そこで知識を入れないと!と、新スタッフへのトレーニングが開催されている
ことを知り、トレーニングの一部に講義を入れてもらうようにして8月には
新スタッフ(彼らは村で働く)に対して講義を行った。
すると「HIVの薬を見てみたい!」と。
確かに!そこで、ドクターが管理している抗HIV薬を拝借してみんなに見せた。
私も初。「普通の錠剤だね~。1錠で3種類が混ざっているんだよ!」と説明。
ヘルスセンターでもHIVの薬を出していいところと出してはいけないところが
決まっている。これは処方医がトレーニングを受けなくてはならなかったり
抗HIVは厳密に管理されるため、それに見合う施設なり人員が必要なため。
抗HIV薬をおけるヘルスセンターを増やしていこうとしているが、
一方で開設したものの予想よりHIV感染者が少なかったり、
小児と大人の人口比が異なり薬が余っていて期限切れになってしまって
いるケースもあった。開設した後に、フォローをできなければこうなってしまう。
フォローしたくてもガソリンがないのかもしれない。
交通手段が無いのかもしれない。難しいな。
私がいる間だけでも少しは知識が広まればいいなと思った。
もちろん、ガイドライン含め医療は変わっていくからということを伝えたが
電気の無い、電波の届かない彼らがその変化についていくことは難しい。
だからこそ、こういった村レベルに入っていくことは意義があると思う。
では、ヘルスセンターに所属すべきか?というと違うと思う。
県病院に所属しているからこそ、各ヘルスセンターに行くことができ、
救急車という交通も利用できるのである。
ヘルスセンターの多くは救急車が無い。急患が出たときは県病院からの救急車を待つ。
とにもかくにも、私の活動は6月からルーチンとなった。
これはとても早いと言われる。でもこれも、先にいたアドミニのまささん、
栄養士のあっきーの活動を利用させてもらったのと、
そこを使おうという私の図々しさのお陰。
月曜・水曜はヘルスセンターに行ける時は行って講義。行って帰って1日がかり。
火曜・木曜の午前中は院内で対患者にHIV薬物療法講義(途中から1日2回することも)。
水曜・金曜は5S巡回。隔週水曜午後は5S会議。
月1回糖尿病教室のお手伝い。
残りは朝2時間ほどはパッキング、その他は薬局の整理整頓、病棟薬剤チェック、
5S活動+α部分をやって過ごした。
5ヶ月。あっという間。ムジンバの子供たちへの草の根教育、病院スタッフへの草の根教育、
そして本来の活動。
役にたてたかはわからないけど、自分にとっても、ある一部のマラウイアンにとっても
濃い時間だったことは確か。
短期のわりに旅行もたくさん行けたし、現地の人たちとの交流も多く出来たと思う。
同じ病院に私よりも長くいる隊員が誘われてないのに、私だけランチに家に招いてくれたり。
人徳かな(笑)。ま、続くものなのかどうなのかそんなのはどうでもよくて。
他の隊員から「1年以上いるよね?」と言われる。自分でもそんな感覚。
職場も家の周りの子供たちとも長い間一緒にいる気がする。
しかしながら、この5ヶ月、今は全く行った実感が無い。
びっくりするくらい、行ったけ?って感じ。
でも写真や動画を見るとほっこりする。私、やっぱり行ってたんだね。
また、マラウイに行けますように。
Malawi Yewo Chomene !!
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