元気なうちにやりたかったことをやろう!そんな思いで2011年3月より8月までマラウイで薬剤師として派遣されるマラリエ生活を綴った日記です。
2011/10/04 (Tue)
マラウイから帰国した翌朝、パソコンを開きメールをチェックすると
JOCA(海外青年協力協会:青年海外協力隊をサポートする組織)から
メールが届いていた。
震災があって2週間後に日本を去った私は、
テレビで石巻の赤十字の方が「全国の薬剤師さん、来てください!」
と言っていたことが、あの何日間で目にしたテレビに映る映像が
忘れられなかった。
高校の頃の阪神淡路大震災。何も出来ないなと思っていた。
新潟中越地震のときは転職中だったけど自己完結出来る自信がなくて
行けなかった。そして今回。
勤めていた病院グループから薬剤師が派遣されていた。
自分はどこにも所属が無い。
JICAから3月13日の電話で確認されたときに断ることも可能だったが、
結局、惨状に耐えられる自信もなくマラウイ行きとなった。
だからずーっと引きずっていた。そんな中、月1回隊員に配布される冊子の
6月号にJOCAを通しての被災地での活動が紹介されていて
登録先も書いてありすぐに登録した。
すると時々、要請のメールが送られてきたがそれも8月には無くなり、
もう要請もなくなっているのだなと思っていた。
それが帰国翌日、届いた!出来そうな案件に応募。
や~ご縁だ、ご縁だと思っていた。
するとすぐに返信が。「少し前に決まってしまいました。」と。
そっか・・・。残念。そうして過ごしていると、お昼頃携帯が鳴る。
JOCAからで「今朝陸前高田からボランティアセンターの運営という
要請が来ました。運転は出来ますか?」と。
え~!!ペーパー!!でも現地は人手不足だという。
1日考え、渋滞を作ってしまうほどゆっくり運転してよければと
行くことにした。これもご縁だ。
8月31日。帰国して1週間後、岩手県の陸前高田に行くこととなった。
陸前高田は名前だけは覚えていて、私は果たして正常な精神で
きちんと活動をできるんだろか?という思いもありながら向かった。
JOCAの基地は遠野市にある。
3月から公民館で寝泊りして他のボランティアさんたちと生活していたらしい。
私が到着した日にJOCAが借りた民家に引越しで、汗だくで公民館の掃除などを手伝った。
そこで15人ほどの共同生活。それぞれが遠野、釜石、陸前高田で活動する。
集まるメンバーは元青年海外協力隊員。
このため「どこ行ってたんですか?どんな現地語?」など自然と話がはずむ。
中には10年以上前に行かれた方もいて、この繋がりにすごいなぁと思った。
私を駅まで迎えに来てくれた調整員が乗っていたワゴンは青くデカデカと
青年海外協力協会と書いてあって「派手ですね・・・。」とひいた。
彼は3月25日に被災地入りしたそうだ。
すると県外のナンバーのためガソリンを入れてくれなかったそうだ。
そこでレンタカーを借りたが今度は災害緊急車両扱いされず
やはりガソリンをもらえない。
ボランティアを送るための車なのにガソリンをもらえず苦労したそうだ。
だからこの車がどんなに嬉しかったか、と話してくれた。
車に名前があることは必要なんだなと初めて知った。
今度は海外青年協力隊が知られておらず、怪しまれた。
でも根気よく、そして通い続けることで信頼を獲得して
そのお陰で今の私たちの活動がある。本当に頭が下がる。
1人で開拓していった。すごいなぁ。本当にすごい。
そしてこの後、すごいなぁを思う日々が始まる。
JOCA(海外青年協力協会:青年海外協力隊をサポートする組織)から
メールが届いていた。
震災があって2週間後に日本を去った私は、
テレビで石巻の赤十字の方が「全国の薬剤師さん、来てください!」
と言っていたことが、あの何日間で目にしたテレビに映る映像が
忘れられなかった。
高校の頃の阪神淡路大震災。何も出来ないなと思っていた。
新潟中越地震のときは転職中だったけど自己完結出来る自信がなくて
行けなかった。そして今回。
勤めていた病院グループから薬剤師が派遣されていた。
自分はどこにも所属が無い。
JICAから3月13日の電話で確認されたときに断ることも可能だったが、
結局、惨状に耐えられる自信もなくマラウイ行きとなった。
だからずーっと引きずっていた。そんな中、月1回隊員に配布される冊子の
6月号にJOCAを通しての被災地での活動が紹介されていて
登録先も書いてありすぐに登録した。
すると時々、要請のメールが送られてきたがそれも8月には無くなり、
もう要請もなくなっているのだなと思っていた。
それが帰国翌日、届いた!出来そうな案件に応募。
や~ご縁だ、ご縁だと思っていた。
するとすぐに返信が。「少し前に決まってしまいました。」と。
そっか・・・。残念。そうして過ごしていると、お昼頃携帯が鳴る。
JOCAからで「今朝陸前高田からボランティアセンターの運営という
要請が来ました。運転は出来ますか?」と。
え~!!ペーパー!!でも現地は人手不足だという。
1日考え、渋滞を作ってしまうほどゆっくり運転してよければと
行くことにした。これもご縁だ。
8月31日。帰国して1週間後、岩手県の陸前高田に行くこととなった。
陸前高田は名前だけは覚えていて、私は果たして正常な精神で
きちんと活動をできるんだろか?という思いもありながら向かった。
JOCAの基地は遠野市にある。
3月から公民館で寝泊りして他のボランティアさんたちと生活していたらしい。
私が到着した日にJOCAが借りた民家に引越しで、汗だくで公民館の掃除などを手伝った。
そこで15人ほどの共同生活。それぞれが遠野、釜石、陸前高田で活動する。
集まるメンバーは元青年海外協力隊員。
このため「どこ行ってたんですか?どんな現地語?」など自然と話がはずむ。
中には10年以上前に行かれた方もいて、この繋がりにすごいなぁと思った。
私を駅まで迎えに来てくれた調整員が乗っていたワゴンは青くデカデカと
青年海外協力協会と書いてあって「派手ですね・・・。」とひいた。
彼は3月25日に被災地入りしたそうだ。
すると県外のナンバーのためガソリンを入れてくれなかったそうだ。
そこでレンタカーを借りたが今度は災害緊急車両扱いされず
やはりガソリンをもらえない。
ボランティアを送るための車なのにガソリンをもらえず苦労したそうだ。
だからこの車がどんなに嬉しかったか、と話してくれた。
車に名前があることは必要なんだなと初めて知った。
今度は海外青年協力隊が知られておらず、怪しまれた。
でも根気よく、そして通い続けることで信頼を獲得して
そのお陰で今の私たちの活動がある。本当に頭が下がる。
1人で開拓していった。すごいなぁ。本当にすごい。
そしてこの後、すごいなぁを思う日々が始まる。
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