元気なうちにやりたかったことをやろう!そんな思いで2011年3月より8月までマラウイで薬剤師として派遣されるマラリエ生活を綴った日記です。
2012/02/05 (Sun)
もう年が明けてしまったけど、自分の記録のために、どなたかが見てくれるときのために10月の陸前高田を記そうと思う。
10月は個人でのボランティアだったため交通費を抑えるために高速バスでまずは仙台へ。6時前に着き乗り換えて陸前高田へ。直通もあるけど迎えに来やすい時間にするため。9月に知り合った救護班の友人がバスの停留所まで迎えに来てくれた。ボランティアセンターは市街地から車で20分ほどの内陸にある。そこへのバスなど交通機関は無い。
センターに着き9月からいるスタッフと再会。聞くと受付が足りないと言うことで受付を手伝うこととした。受付かぁ・・・。正直、残念だった。地元の方たちと触れ合いたいという自己満足心があったから。でも、足りなくて困っているならしょうがない。
宿泊場所は住田基地。廃校になった小学校を無料でボランティアに開放している。そこはセンターからさらに内陸に車で20分。こことの交通も9月に知り合ったスタッフの車に便乗して、時には社協の車を特別に貸していただいて通った。10月の活動は沢山の方の支えの中で成り立ったものだった。


住田基地は思っていたよりとっても快適。お風呂もプレハブで浴槽付きであったし、洗濯機もあるし、炊事場もある。すごい!!お風呂に関しては6月くらいに四国から(?)お風呂だけを作ってまわっている3人くらいの方がいて、その方たちが2~3日で作り、そして去っていったという。ありがたい。目に見えないありがたい人がいて今の自分の滞在があるんだと思った。夏用と冬用寝袋を重ねて寝た。
住田基地での出会いもたくさんあった。チーム住田と呼ばれる人たちがいる。色々なところから来ている50代くらいのおじちゃんたち。自ら軽トラに機材を積んで職人のような働きをする。木を切り倒して山を切り開いたり、とにかく相当な人じゃないと一緒に活動できない。おじちゃんたちは月単位で滞在を継続していたり、何度も来たり、入れ替わり立ち代りで常にチーム住田は存在した。そんなおじちゃんたちはとっても気さくで、運営班の私たちがミーティングを終えて帰ると「夕飯できてるぞ~!」と毎日呼んでくれる。お酒を飲みながらたわいの無いことを話すおじちゃんたち。でも、強い思いを捧げている。素敵なおじちゃんたち。出会えて本当に良かった。

残念な受付であったが、少しやり始めるといかに大切かが見えてきた。主な仕事は、ボランティアが来たときの登録受付、その後は活動を終えて帰ってくる人たちへのお茶菓子準備。ここでは飲みたいものを聞いてこちらで入れて手渡ししている。そういうところを大切にしている。その間、電話による事前受付、高速道路の無料申請に対する電話などに追われる。時間があるときには仮設住宅に物資を配布しに行く。
陸前高田市災害ボランティアセンターは先に書いたように車以外の交通で来るにはなかなか来づらい。個人で来ようとする人に対して、バスやレンタカー、他のツアーに混ざる方法、住田基地他旅館の紹介など、2回目の私だからわかる情報を提供することが出来た。いかに現地までの過程を支えるか、そして後日、実際に会ってお礼を言われると嬉しかった。また、仮設住宅の違いや、物資配給の違いなども感じることができ、4月からいらっしゃるスタッフの方にボランティアセンター始め色んな団体の仕組みなどを聞くことができ貴重な経験となった。
ある日、大学生2人が自転車に乗ってボランティアセンターに来た。どこから来たのか聞くと停留所から、と。折りたたみ自転車をバスに乗せてきたそうだ。今日は足がないから活動は無理だと伝えると住田基地へ向かうという。彼らは2時間かけて基地へ辿り着いた。夜、帰るとチーム住田の中でご飯を食べていた二人。聞くと1人が誕生日だと言う。ホルモンをもらっていた私たちはホルモン焼きを作り、♪ハッピバースデートゥーユー♪とホルモン焼きを持っていった。二人は教師になりたいという。1人が隣町出身と言うことで色んな想いがあり今回来た。将来の子供たちに伝えて生きたいというまっすぐな彼らは活動を終えるとまた自転車で帰っていった。
またある日、おばさんに「あら、お久しぶり~!」と。見たことあるけどどこでだっけ?「ほら、見に来てくれたでしょ?トイレの場所とか。」あ~!!9月に現場確認に行ったときの依頼主だ!!嬉しかった~!!
2回目の陸前高田は個人ということもあり、のんびり活動、滞在させてもらった。嬉しい再会、新しい出会い、3週間あっという間だったな。支援の難しさもとても感じた。沢山の団体で成り立つボランティアセンターの行く末をどこでまとめ、その考えを共有して復興に繋げていくのか。そんなことも考えた。紅葉が山の上から下りてき始めた頃、帰京。今回仲良くなったスタッフのおうちで夜行バスの時間まで過ごす。ここのうちにも何度か泊まった。みんなのお陰の2度目の陸前高田だった。「再会」という喜びは2度目だから味わえる。この喜びは素敵だな。
PR
10月は個人でのボランティアだったため交通費を抑えるために高速バスでまずは仙台へ。6時前に着き乗り換えて陸前高田へ。直通もあるけど迎えに来やすい時間にするため。9月に知り合った救護班の友人がバスの停留所まで迎えに来てくれた。ボランティアセンターは市街地から車で20分ほどの内陸にある。そこへのバスなど交通機関は無い。
センターに着き9月からいるスタッフと再会。聞くと受付が足りないと言うことで受付を手伝うこととした。受付かぁ・・・。正直、残念だった。地元の方たちと触れ合いたいという自己満足心があったから。でも、足りなくて困っているならしょうがない。
宿泊場所は住田基地。廃校になった小学校を無料でボランティアに開放している。そこはセンターからさらに内陸に車で20分。こことの交通も9月に知り合ったスタッフの車に便乗して、時には社協の車を特別に貸していただいて通った。10月の活動は沢山の方の支えの中で成り立ったものだった。
住田基地は思っていたよりとっても快適。お風呂もプレハブで浴槽付きであったし、洗濯機もあるし、炊事場もある。すごい!!お風呂に関しては6月くらいに四国から(?)お風呂だけを作ってまわっている3人くらいの方がいて、その方たちが2~3日で作り、そして去っていったという。ありがたい。目に見えないありがたい人がいて今の自分の滞在があるんだと思った。夏用と冬用寝袋を重ねて寝た。
住田基地での出会いもたくさんあった。チーム住田と呼ばれる人たちがいる。色々なところから来ている50代くらいのおじちゃんたち。自ら軽トラに機材を積んで職人のような働きをする。木を切り倒して山を切り開いたり、とにかく相当な人じゃないと一緒に活動できない。おじちゃんたちは月単位で滞在を継続していたり、何度も来たり、入れ替わり立ち代りで常にチーム住田は存在した。そんなおじちゃんたちはとっても気さくで、運営班の私たちがミーティングを終えて帰ると「夕飯できてるぞ~!」と毎日呼んでくれる。お酒を飲みながらたわいの無いことを話すおじちゃんたち。でも、強い思いを捧げている。素敵なおじちゃんたち。出会えて本当に良かった。
残念な受付であったが、少しやり始めるといかに大切かが見えてきた。主な仕事は、ボランティアが来たときの登録受付、その後は活動を終えて帰ってくる人たちへのお茶菓子準備。ここでは飲みたいものを聞いてこちらで入れて手渡ししている。そういうところを大切にしている。その間、電話による事前受付、高速道路の無料申請に対する電話などに追われる。時間があるときには仮設住宅に物資を配布しに行く。
陸前高田市災害ボランティアセンターは先に書いたように車以外の交通で来るにはなかなか来づらい。個人で来ようとする人に対して、バスやレンタカー、他のツアーに混ざる方法、住田基地他旅館の紹介など、2回目の私だからわかる情報を提供することが出来た。いかに現地までの過程を支えるか、そして後日、実際に会ってお礼を言われると嬉しかった。また、仮設住宅の違いや、物資配給の違いなども感じることができ、4月からいらっしゃるスタッフの方にボランティアセンター始め色んな団体の仕組みなどを聞くことができ貴重な経験となった。
ある日、大学生2人が自転車に乗ってボランティアセンターに来た。どこから来たのか聞くと停留所から、と。折りたたみ自転車をバスに乗せてきたそうだ。今日は足がないから活動は無理だと伝えると住田基地へ向かうという。彼らは2時間かけて基地へ辿り着いた。夜、帰るとチーム住田の中でご飯を食べていた二人。聞くと1人が誕生日だと言う。ホルモンをもらっていた私たちはホルモン焼きを作り、♪ハッピバースデートゥーユー♪とホルモン焼きを持っていった。二人は教師になりたいという。1人が隣町出身と言うことで色んな想いがあり今回来た。将来の子供たちに伝えて生きたいというまっすぐな彼らは活動を終えるとまた自転車で帰っていった。
またある日、おばさんに「あら、お久しぶり~!」と。見たことあるけどどこでだっけ?「ほら、見に来てくれたでしょ?トイレの場所とか。」あ~!!9月に現場確認に行ったときの依頼主だ!!嬉しかった~!!
2回目の陸前高田は個人ということもあり、のんびり活動、滞在させてもらった。嬉しい再会、新しい出会い、3週間あっという間だったな。支援の難しさもとても感じた。沢山の団体で成り立つボランティアセンターの行く末をどこでまとめ、その考えを共有して復興に繋げていくのか。そんなことも考えた。紅葉が山の上から下りてき始めた頃、帰京。今回仲良くなったスタッフのおうちで夜行バスの時間まで過ごす。ここのうちにも何度か泊まった。みんなのお陰の2度目の陸前高田だった。「再会」という喜びは2度目だから味わえる。この喜びは素敵だな。
この記事にコメントする