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元気なうちにやりたかったことをやろう!そんな思いで2011年3月より8月までマラウイで薬剤師として派遣されるマラリエ生活を綴った日記です。
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2024/05/18 (Sat)
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2012/05/22 (Tue)
4ヶ月ぶりの陸前高田。年が明けて初めての高田。
 
去年の10月に宿泊していた住田基地で知り合ったおじさまから4月上旬に急遽「下旬にまた行くけど行く?」と誘いがあり、4月からの仕事が決まらなかった私は即決!4月23日午後、東京から高田へ向かった。
 
高田での滞在は丸3日。
チーム住田と呼ばれる何度も何度も高田と地元を行き来するチェーンソーをも操るおじさまたちと行動を共にした。
 
1日目。
市街地を通ると4ヶ月前とは変わっていた。仮設の銀行やドラックストア、仮設ではないスーパーマイヤも出来ていた。反面、明らかになくなっているものがあった。それはたくさんの家の基礎。平野の広い土地にかろうじて、住宅地があった証が、それさえもきれいになくなって、本当の何もない土地になっていた。
 
何かを建てる為にはしょうがないけど、あまりにも何も無さ過ぎて、今まで住宅があって、人が生きていた土地とはかけはなれていた。高田病院や高田市役所など残っている建物も6月から解体が始まるそうだ。
P1130764.JPGP1130765.JPG 








さて、この日はビニールハウスのビニール張りへ。
依頼者さんは12月にやったときの依頼者さんと同じで思いかけず再会♪自然農法にかねてから力をいれており、土を良くするための土をビニールハウス内で作るのだそうだ。野菜を作ったことはあったけど、ビニールハウスは初めて。
クネクネの針金でビニールを留めているということを初めて知った。
屋根まで張ってズレを見るために中へ入るとあったかい!
P1130759.JPGP1130760.JPGP1130761.JPG








依頼者さんが海を見て「今まであんな波はたたなかった。海の底に色んなものがあるんだよな。」と。
木々がなくなったことで風の当たり方も変わったという。当たり前かもしれないけどさみしい。
 
この夜、住田基地は丸一年たった。
去年の4月25日に廃校になった小学校をボランティアと地域の方の協力でボランティアの寝泊りのために解放する住田基地ができた。地域の民生委員さんが郷土料理を作ってくれ、発起人のボランティアさんが作った住田町への想いが詰まった歌を歌ったりして夜が過ぎた。
私がここにこうして泊まれることは沢山の支えがあってのことだと心が温かくなった。
P1130762.JPGP1130763.JPG








2日目。
流されてしまった親戚の家の敷地内にある蔵を改装して、地域の人が安く飲んでカラオケ出来る店にしようとしているおじさんのお手伝い。
1人で蔵を整理し、ペンキを塗り、備品を揃えていた。冷蔵庫やカウンターの設置、あとは水道管を通すための溝を掘った。といっても、私は力仕事は任せ、冷蔵庫を洗ったり依頼者のおじさんとお話して過ごした。
おじさんは初め自身も手伝おうとしていたがチーム住田の仕事ぷりをみて「こりゃプロだ。」と任せ、ビデオを撮り始めた。聞くとカメラは無いと言う。
 
今まで何度も取材を断ったそうだ。それは亡くなった友達を想う気持ちからだったそうだ。
「泣いて泣いて泣いたよ。70歳にして遅いけど人のために何かしようってね。」と。
最後に入り口に通じる道に大きな石があり、つまづいたら大変!と動かすことになった。が
、力持ちの5~6人がバールを使っても動かせず、するとチーム住田の面々が「
ロープとギャッジ(?)!あの木を使おう!」と。ト
ラックから道具が出てきて、まもなく石は動かされた。プロだ。
P1130768.JPG 








最後に蔵の前で写真を撮った。帰りの挨拶をしているとおじさんが泣き出す。
「1日で出来るなんて思わなかった。泣いてごめんね。ごめん。ごめん。ありがとう。」と。
まだまだ泣いている人がいる。
後日、出来た写真を送ると電話が来て「大きくして飾るからね~!」と。
しかも話していたら娘さんと母校が一緒。なんだか嬉しい。また、会いに行こう。
P1130766.JPGP1130767.JPGP1130769.JPG






 

3日目。
仮設から仮設への引越しの手伝い。
旦那さんの仕事場に近いところが空いたそうで前の週に市から電話が来たらしい。
依頼者の奥さんと小さいものを片付けながらお話。色んな事情があって、色んな決断があるんだなと感じた。
これからは移動する人がどんどん増えていくことだろう。色んな背景、色んな決断だな。
仮設の荷物は置ける広さもないので少なく1回運んで終了。
 
午後からは養殖の牡蠣のためのいかだ作りへ。
チーム住田のみなさんのチェーンソーとフォークリフトさばきを見てほれてしまった~。
私はナックル閉めなどをやった。ナックルなんて閉めたことなくて初めて道具の使い方もマスター。
この歳にして学ぶことばかり。
P1130770.JPGP1130771.JPGP1130772.JPG








写真に写っている茶色い木のところまで波が被ったしるし。
白く小さく見えるのは右の写真のテント。改めてその高さを見上げる。あそこまで水だったなんて・・・。
漁師さんは震災後、今後どうなるかわからないと思い、すぐに養殖のためのナックルなどの部品を探しやっと大阪で見つけ2年分購入したそう。牡蠣は3年かかるという。牡蠣は苦手だけど3年後の牡蠣は食べるぞ!

 
活動後そのまま大船渡へ。
曇りだったけど桜が満開できれいだった。やっぱり花っていいな。
P1130773.JPG 








まさかのチーム住田のおじさんの助手席に座って高田に来て、チーム住田のおじさんたちと一緒に活動をするとは思ってもみなかった。初めて高田に来た時に「チーム住田」という人たちがいるらしく、サングラスの人やぽっちゃりさんがそうらしいということは認識していたがこんな風に一緒に行動させてもらえるとは思いもよらなかった。
 
今回、震災から1年経っているし、正直、初めて来るボランティアはいないと思っていた。け
れども住田基地で「初めて来ました」という方たちに会った。な
ぜ「今」なのか聞くと「定年になってやっと来れた。(京都から)」
「最近仕事をやめた。ずっと被災地に来たかったけど個人の受付がここだけだったから。(福岡から)」と
いうなるほどの回答。
 
来れる人、来れない人、今来る人、今来れない人、それもご縁。
今回また新しく出会えた全国から来るボランティアさんや依頼者の方たち。
再び会った仲間、風景、温泉。去年の8月までは場所さえ知らず何の縁も無かった陸前高田。
不思議だけどラッキーだ。
 
マラウイから陸前高田、地元の社協での東北からの避難者さんへの関わり、そしてマラウイから今までのことを、
「社会性がある」と「医療者」の履歴よりもそこを評価してくれた今の職場。
何かに転がされているような感覚だ。
GW明けからようやく薬剤師に戻り、これからはなかなか高田に行きづらい。
また違った環境で自分の出来ることを見つけて、高田の人たちにも、患者さんにも、
誰かしらの役に立てるように頑張っていこう。そして自分自身にも。
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